(平成29年2月10日) 参加者数:44名

今回は、田辺市熊野ツーリズムビューローの多田稔子会長に「熊野古道とサンティアゴ巡礼道 ~ふたつの道の共同プロモーション~」について語っていただきました。


田辺市熊野ツーリズムビューローは、2005年に5市町村の合併により、観光協会連絡協議会が設立されましたが、それぞれの観光協会は地域特性を活かした活動をする組織として存続させることとし、行政が担う観光振興ではなくて、民間で観光振興を担う役割として設立されました。

2004年、熊野古道が世界文化遺産として登録されるとともに観光客が殺到しました。
世界遺産に登録されると、観光バスが押し寄せ、観光客は熊野古道を1時間ほど歩くだけで帰って行きました。
観光客にとって熊野古道は、ただの山道でしかなかったのです。
 
「熊野をもっとゆっくりと味わってもらいたい」との意識が醸成されていきました。
そこで生まれた「観光戦略の基本スタンス」は
・「ブーム」より「ルーツ」 (世界遺産のブームより巡礼としてのルーツを大切にする)
・「乱開発」より「保全・保存」 (熊野古道の保全・保護を優先する)
・「マス」より「個人」 (団体客でなく個人の観光客に視点をおく)
・「インパクト」を求めず「ローインパクト」で (インパクトを求めるのではなく、息の長い観光を目指す)
・世界に開かれた「上質な観光地」に (世界から憧れを持ってもらえる上質な観光地を目指す)
この「世界から憧れを持ってもらえる上質な観光地を目指す」が、自然とインバウンドの推進につながりました。

熊野古道とサンティアゴの巡礼道は共通点が多くみられます。
・ 数百キロに及ぶ世界文化遺産の巡礼の道
・ 世界遺産に登録されていないサブルートが存在する
・ 起源は共に10世紀、中世に絶頂期を迎えている
・ 途中衰退するものの復活する
・ アジアの東の果てとヨーロッパの西の端
・ 熊野本宮大社とサンティアゴ大聖堂
・ 伏拝王子と歓喜の丘
・ 王族貴族の巡礼から一般庶民の巡礼へと広がる
・ 近年では世界中から巡礼者が訪れている
※ 歩く人が巡礼道の風景を完成させている  (歩く人がいるからこそ巡礼道)
 
共同プロモーションの経緯
2007年、サンティアゴ・デ・コンポステーラ市観光局から姉妹都市の調査に三重県伊勢市に来られた際、熊野三山を含む南紀(熊野)エリアを案内され、伊勢市の大量送客型ツアーは同市が目指す観光ではない。連携するなら田辺市だと判断されたようです。そして、2008年に「姉妹提携・共同プロモーション」に調印する運びとなりました。


2012年には行政の連携も始まり、2014年に田辺市&サンティアゴ・デ・コンポステーラ市の間に「観光交流協定」も締結されました。
この締結式の際、サンティアゴの大聖堂で熊野大社の神官が神楽を舞ったのが印象的でした。キリスト教という一神教の大聖堂で他宗教の神楽を舞うなんて… 驚きでした。サンティアゴの方は「この地域は寛容性がある」と説明を受け、さらに熊野との類似性を感じました。

『共通巡礼手帳』の作成もあります。サンティアゴと熊野の両方の巡礼道を歩くと認定するというものです。サンティアゴ巡礼道は100km以上も歩かないと認められません。2015年2月にスタートし、共通巡礼者が470名(日本人は1/4)もおられます。地球の正反対の巡礼道を歩こうと思う人がこんなにおられることに感動しました。

2006年に田辺市熊野ツーリズムビューローが設立され、2010年に法人格(一般社団法人)を取得、第2種旅行業を取得しました。
2016年の利用者は、1位オーストラリア、2位アメリカ、3位フランス、4位スペインと、外国人の訪問が7割です。
最近、DMOの成功事例と紹介されることが増えていますが、目の前の問題を解決させて、旅行業を取得しているうちに、結果としてDMOになっていたというのが印象です。決してDMOを目指していたのではありません。
2017年は”南方熊楠”の生誕150年を迎えます。南方熊楠のように自然に生かされながら、少しずつ地域を発展させたいと締めくくられました。


今回は愛媛県からの参加者もいました。またサンティアゴと熊野の巡礼道を歩いて、「サンティアゴ巡礼の道」を出版された高森玲子様も来られており、高森様は「熊野巡礼の道」の執筆にも取り掛かっておられるとの案内もありました。
 

【田辺市熊野ツーリズムビューローのHP】
http://www.tb-kumano.jp/about/