インバウンド巻き直しへ タイ観光庁トップら識者に聞く
本保芳明氏/矢ケ崎紀子氏/村山慶輔氏/ユタサック・スパソーン氏
(日本経済新聞 2022年10月17日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD043TD0U2A001C2000000/?fbclid=IwAR04HwCZgMohNieskwQ5S4VJJzRaFn75Ovb-pvJoeNQpJy55s-2ExqsTWq0

【ホッシーのつぶやき】
本保氏は、日本の観光関係者に「うぬぼれがあった」という。矢ケ崎氏は、「リピーター作りに専念」して地域にあった魅力を開発し、需要変動による値下げをしないこと、村山氏は「総花的なPRでなくポイントを絞る」べき、日本に留学していたタイ政府観光庁総裁のスパソーン氏は「質を重視し、高所得者の長期滞在を増やすこと」だという。
日本もコロナ禍で観光が大きく変わりそうな兆しがある。目先の観光客数でなく、将来を見据えた観光を進めてもらいたい。

【 内 容 】
個人旅行やビザなし渡航の解禁で、外国人の訪日旅行(インバウンド)が本格再開した。新型コロナウイルス禍以前は観光地が混雑し、消費額も伸び悩んだ。インバウンドの経済効果を持続可能な形で引き出す方策について、観光分野の識者や外国人受け入れで日本に先行するタイの観光行政トップに聞いた。

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起業と人材育成で競争力 国連世界観光機関(UNWTO)駐日事務所代表 本保芳明氏
ほんぽ・よしあき 旧運輸省を経て2008~10年に初代観光庁長官。16年から現職。東武鉄道執行役員待遇、大学教員も務める
国連世界観光機関(UNWTO)の調査では今後、経済環境、運賃上昇、ウクライナ情勢などが国際観光の制約要因となる。しかし大きな流れでは成長軌道にある。人は豊かになれば、必ず旅をしたいと思うからだ。コロナ下で旅行意欲や資金もたまっている。

欧米はコロナ前の勢いを回復した。日本は出遅れたが、2023年は楽観的にみている。中国も共産党大会が終わればゼロコロナ政策を緩和するかもしれない。ただし、経済の不調もあり海外旅行を奨励することにはならない。(岸田文雄首相の掲げる)インバウンド消費5兆円は、すぐには実現しないだろう。

観光立国の政策は03年の小泉政権で始まり(第2次)安倍・菅政権で花開いた。19年の訪日客数は3188万人と16年間で6倍強、消費額は7年間で4・5倍に増え、競争力や魅力度のランキングで日本や東京、京都が上位の常連になった。観光庁だけでなく環境省や文化庁、各自治体も熱心に取り組み、政策としては大成功といえる。

課題は「民」の改革ではないか。この間、観光分野で目の覚めるようなイノベーションはみられなかった。国内旅行は昔ながらの1泊2日で週末や連休に集中する。これでは次の観光業は育たない。

欧米やアジアでは環境や社会の持続可能性(サステナビリティー)に配慮した旅が好まれ、その費用を旅行者が喜んで負担する。こうした行動は日本にまだ定着していない。日本の観光の実情は世界の流れから取り残されつつある。

カギは起業だ。外国人旅行者数で世界首位のフランスは、観光関連のスタートアップを資金や既存企業とのマッチングなどで支援している。若い担い手が新しい旅を提案し、軌道にのれば国外へと展開していく。

島国のモルディブはコロナ前、来訪者の上位は中国とロシアだった。今は欧米などからの集客でコロナ前の水準に戻した。「1つの島に1つのリゾート」を掲げ、乱開発を防ぎつつ良質な施設を提供するノウハウを蓄えてきた。日本も今後は観光でのイノベーションを生み出すべきだ。
(聞き手は石鍋仁美)

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質重視し、リピーター獲得 東京女子大教授 矢ケ崎紀子氏
やがさき・のりこ 1987年国際基督教大卒、住友銀行(当時)入行。日本総合研究所や東洋大教授を経て、19年4月から現職
訪日客数が1000万人を超えたのは2013年だ。国際観光客の受け入れで先行する国と比べると歴史が浅い。水際対策の大幅緩和で、しばらく特需といえる状況は続くだろう。

日本は国内客で宿泊施設の平日需要を埋められず、大型連休やお盆に客が集中する特異な観光産業になっている。親が有給休暇をほぼ100%取得するドイツやフランスでは学校の長期休暇を分け、周辺国と重ならない工夫もしている。

円安環境は訪日観光の割安感を強めるが、安ければいい旅行者はリピーターになりにくい。今回の特需と同時に顧客分析を始め、リピーター作りに専念して持続可能な観光立国につなげるべきだろう。

日本の観光地はリピーター作りが下手だ。日本人が1年で宿泊を伴う観光旅行に出るのは19年で平均1・4回。大半の消費者は毎回同じ地域や宿泊施設に行かず、結果として各地域はいつも新しい旅行客の受け入れに慣れてしまっている。

客室稼働率が下がれば安売りする。小さな旅館や観光地は旅行業者に集客を依存する。繁忙期の人手は短期間のパートやアルバイトで充足し、接客技術が高まらない、常連客の顔を覚えていない。この態勢で訪日客が増えてもリピーターになる確率は低いだろう。

リピーターの中にはスキーや登山などのアクティビティー、人気の美容室を目的にわざわざ訪日する人がいる。食べ歩きや歴史学習、アニメの聖地巡礼もある。属性を分析すると各地の次の一手が見えてくる。

政府は2030年に年間6000万人、消費額15兆円のインバウンド目標を変えていない。人数だけ追うと一人ひとりに質の高い観光体験を提供することが難しくなる。当面は消費額も重視すべきで、なるべく地方に利益を波及させたい。

価格戦略も重要だ。世界的に質の高い観光資源は高くて当たり前。参考になるのは由布院だ。一人旅や新婚旅行などによってホテルや価格の選択肢が多い。需要変動による値下げをせず、価格の多様性を保つ。これにより「いつどんな需要にも応えられる」という信頼につながっている。
(佐伯太朗)

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地域ごとに「深い体験」示せ やまとごころ代表 村山慶輔氏
むらやま・けいすけ 米国留学、外資系コンサル会社を経て2007年起業。インバウンド観光サイト「やまとごころ.jp」を運営
目標が決まると一丸になるのが日本の強みだ。インバウンド振興も国や地域が一丸となって成果を上げてきた。しかしこの気質にはマイナス面もある。

地方で自治体の方に会うと、そろって「富裕層を呼びたい」と言う。しかし良質の宿泊施設がなければ短時間の滞在にとどまり経済効果は乏しい。インバウンドは万能薬ではない。受け入れ態勢なしでは、ザルで水をくむのと同じだ。

地域によっては一般的な旅行者にアピールした方がいい場合もある。外部の視点を取り込んで、どんな人々を呼びたいのかをきちんと見定めていきたい。

総花的なPRもよくある落とし穴だ。名所、食、温泉など、あれもこれもでは印象に残らない。例えば三重県はゴルフツーリズムに絞ってPRし、富裕層を扱う世界の旅行会社から注目を集めることに成功した。

旅慣れた観光客は、単に珍しいものや写真映えする風景ではなく、一段深い自分が変わるような体験を求めている。文化や歴史を持つ日本には追い風だ。

大手企業を辞めて地方に移住し、外国人向けの山伏修行体験ツアーで起業した方がいる。伝統の装束で山を歩いて滝行もする。背景となる文化も英語で伝える。新しい自分を発見できると人気だ。

日本の食文化に欠かせない味噌も、様々な製法や風味だけ伝えてもピンとこない。「家ごとに固有の味があり、結婚まもない夫婦がよくケンカになる。あなたの国の○○と同じ」と言えば興味をもってもらえる。

コロナ前、外国人客の急増が住民の反発を呼んだ。米国では観光収入が地域のインフラ整備や住民の税負担減に役立つ点を具体的に訴え、理解につなげた例がある。日本のある体験企画の事業者は「観光客は伝統技術・芸能の後継者候補」と位置づけ、職人の協力を得ている。地域へのプラスを具体的に説明したい。

米国留学した際、他国の留学生はだれもが自国の文化を理解し、積極的に語っていた。インバウンド再興のカギは外国語ではなく、「異文化」を理解している人材の活用だ。外国語だけなら通訳サービスを活用すれば十分だ。
(石鍋仁美)

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長期滞在や医療・健康に的 タイ政府観光庁総裁 ユタサック・スパソーン氏
Yuthasak Supasorn タイ中小企業振興庁や公共放送局の幹部を経て2015年から現職。慶応大に留学、経済学の博士号を持つ
タイ政府は10月1日、新型コロナウイルスが「もはや深刻な感染症ではない」と宣言した。1日当たりの死者数はおおむね10人以下に抑え、ワクチン接種でリスク管理が可能と判断した。海外渡航後はワクチン接種証明書や陰性証明書がなくても入国できるようになった。観光庁は政府の方針に沿ってインバウンドの回復に取り組んでいる。

コロナ流行前の2019年には4000万人近い外国人旅行者を迎え入れていたが、21年は約40万人まで落ち込んだ。22年は少なくとも1000万人、23年は約2000万人を見込む。19年に約3兆バーツ(約11兆5000億円)だった観光収入を、22年に5割、23年に8割まで回復させることを目指している。

旅行需要は当然、出入国規制が緩和された国・地域同士で早く回復する。まず欧米人、次に東南アジアの周辺国やインドからの旅行者が増えた。コロナ前に国別で最も多く訪れていた中国人客の本格的な回復は23年以降とみている。

観光戦略は旅行の「質」を重視するように改めた。旅行者数が少なくても観光収入を増やせるように、旅行者の1回の滞在における消費額を従来より30%増やす目標を立てた。

具体的には、高所得者の長期滞在を増やすことで実現を目指す。資産家や高度専門職を対象にした長期滞在ビザを導入したほか、観光客はビザ免除で滞在できる期間を従来の30日間から45日間に延長した。医療・健康ツーリズムにも力を入れる。レジャー目的に比べて消費額は2~3倍多い。

インバウンド回復の障害となるのが、航空券価格の高騰だ。国際線の運航本数が減ったことや、燃油価格上昇の影響でコロナ流行前に比べて2倍ほど高い。観光庁は旅行会社と協力し、航空会社に増便を働きかけている。座席の供給数が増えれば、料金も徐々に下がると期待している。

労働者不足も課題だ。外国人旅行者が減った影響で、ホテルや観光施設の従業者の多くが離職した。旅行者が戻っても質の高いサービスを提供できない恐れがある。労働者に復帰を促す施策を検討している。
(バンコク=村松洋兵)

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〈アンカー〉楽観論を排して理念ある観光国へ
日本は観光に長い歴史を持ち交通、宿泊などインフラが整っている。自然や文化、娯楽といった魅力も豊富だ。海外でしっかり宣伝し外国語対応さえ用意すれば観光大国への道はすぐに開ける――。そんな楽観論が、コロナ前の混乱と伸び悩みを生んだ。

国内の「高級」リゾートも国際水準では貧弱だ。マニュアル型サービスは感動を呼ばない。文化財の解説は日本史に関心のない人も楽しめる内容か。タイをはじめ、インバウンド観光の先進国は外国人の興味や価値観を知る人材を生かし、国内観光と発想を変えてサービスを提供する。これが真のおもてなしだ。

日本の観光関係者に「うぬぼれがあった」と本保氏は振り返る。「本当のホスピタリティーとは何か、基本的な理念が問われる」。既存のやり方を脱し、新サービスを生み出せるか。観光大国への岐路だ。