スキー人口激減・コロナ・インバウンド消失でも「過去最多入場者」のスキー場
滋賀「グランスノー奥伊吹」はどうやってこの三重苦を乗り越えたのか
(JBpress 2022年2月27日)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69028

【ホッシーのつぶやき】
スキー・スノボー人口は1998年の1800万人をピークに、2020年は430万人にまで落ち込み、スキー場も1990年の661が、2022年には437に減少している。
そんな逆境下、滋賀県の「グランスノー奥伊吹」は入場者数を増やし続け過去最多、昨シーズンスキー場の売り上げは全国トップ、全国のスキー場ランキングでも6年連続トップだという。スキー客を「日帰りに特化」した手腕は素晴らしい。
こんなスキー場が関西にあったのだと驚いている。

【 内 容 】
斜陽レジャーとなって久しいスキー・スノーボード
北京五輪でレジェンドらを破って金メダルを獲得した平野歩夢選手などの大活躍で、スノーボードの人気が再燃しつつあるという。スキー場関係者にとっては嬉しいニュースだ。
スキー関連が斜陽産業となって久しい。日本生産性本部の『レジャー白書』によると、スキー・スノーボード人口は、1998年の1800万人をピークに減り続け、2020年は430万人(スキー270万人、スノーボード160万人)にまで落ち込んだ。20年あまりで4分の1の水準にまで激減したことになる。

スキー場の閉鎖や営業中止も相次いでいる。日本鋼索交通協会の資料によると、1990年に全国に661あったスキー場は、2022年には437に減少した。雪不足が原因のスキー場もあるが、ほとんどは入場者激減による営業悪化が原因だ。
最近はコロナ禍が追い打ちをかけた。緊急事態宣言などの行動自粛、行動制限、そしてインバウンド消失で、豊富な降雪でスキー場のコンディションは最高なのに、来客数が大幅に減少しているスキー場が多いという。

売り上げも全国トップ「グランスノー奥伊吹」の快進撃
そんな逆境下にありながら、入場者数を増やし続けている“奇跡のスキー場”がある。首都圏の人にはなじみのない滋賀県にある「グランスノー奥伊吹」だ。
昨シーズン(2020─2021)の入場者数は22万1675人で、開業51年間で最多の記録となった。これは全国4位で、関西にある21スキー場では最多入場者数だ。スキー場の売り上げは全国トップになった。今シーズン(2021─2022)も営業日数44日目で10万人を突破し、過去最多を記録するなど好調が続いている。
同スキー場は、全国約400のゲレンデのコンディションや人気ランキングを掲載しているウェザーニュースのスキー場人気アクセスランキングでも堂々のトップになっている。なんと6年連続の1位である。スキー人口、スキー場減少、インバウンド消失、コロナ禍という悪条件下で、なぜ快進撃を続けられるのか。

開業初日の入場者数はわずか7人だった!
このスキー場、そもそもは「奥伊吹スキー場」という名称で1970年に開業した。「雪を資源に地域の活性化を図りたい」という地元の思いが込められていたという。
母体は奥伊吹観光会社(草野丈太社長/41歳)で、本社所在地は滋賀県米原市。現在の社長は創業者(草野丈正氏)の孫にあたる。スキー場があるのは、滋賀県北部、琵琶湖の北北東。伊吹山の北側にあたる。このあたりは豪雪地帯として知られ、伊吹山測候所では1927年に最深降雪量11.82mを記録、日本一の記録となっているほどだ。

グランスノー奥伊吹が人気化した要因はいくつもあるが、まず、全部で12のコースがある多彩なバリエーションがあげられよう。ゲレンデ整備も徹底している。アクセスもいい。大阪から100分、京都から80分、名古屋から60分と日帰りで楽しめる距離・時間だ。SNSを通じた積極的な情報発信や数多くのイベント開催も集客増につながっている。

 すでに開業から50年以上の時を経たわけだが、この間一貫して家族経営でやってきた。開業初日(1970年12月5日)の入場者数はわずか7人。リフトも1基だけだった。その後も、こぢんまりとしたスキー場だったが、1976年に国有林を借りてゲレンデエリアを拡大。1985年には、開業以来初めてシーズン入場者数が10万人を突破した。しかし、右肩上がりとはいかず、10万人を切る年も少なくなかった。2011年の入場者数は11万4152人と現在の半分程度だった。

「総額5000万円還元」「イケメンDAY」などの企画も奏功
そんな状況下で、3代目の丈太氏が2013年に社長に就任した。スキー人口の大幅減で日本各地のスキー場が経営難に苦しむ中、それでも同スキー場は2011年の11万人台が2012年は12万人台、2013年は14万人台と着実に入場者数を増やしている時期だった。しかし、3代目は現状に甘んじることなく、改革の矢を次々と放っていった。

映画『私をスキーに連れてって』が公開された1987年から1990年代前半にかけて、バブル期のスキーといえば「宿泊滞在型」が主流だったが、リーマンショックも経験した平成の後半になると「日帰り」で楽しむレジャーが主流となっていた。そこで同社も2カ所の宿泊施設の運営を止め、日帰り客の受け入れに特化した。一方で、日帰り客にとことん満足してもらえるよう、大規模な設備投資に踏み切った。約10年間で総額30億円にのぼる。
秒速5mの日本最速リフト、ロータリー除雪車(駐車場整備)の導入、ゲレンデコンディション維持強化のための人工降雪機の本格導入、フードコート500席を備えた最新複合施設センターハウスの建設・・・など。

さらにゲレンデも初心者、ファミリー向けから中級者、上級者向けなどバリエーションを拡充した。「日本最大級のキッズパーク」から「最大斜度46度」という日本一のコースまで、あらゆる層に楽しんでもらえるようにゲレンデを整備した。2019年には開業50周年を機に、「奥伊吹スキー場」から「グランスノー奥伊吹」に名称を変更した。
今シーズンに向けても人工降雪機9基を増設し、コースの早期オープンを実現させた(9基で2億7500万円)。さらに「総額5000万円還元キャンペーン」や男性のリフト1日券が割引になる「イケメンDAY」などのイベントも開催。話題作りに事欠かない。そんな攻めの経営が功を奏し、2月11日には1日の入場者数が7443人と開業以来の最高を記録した。

経営努力でインバウンド消失の影響も受けず
ここまでの道のりについての思いと最近の状況を草野社長に聞いた。
「社長になったころから、自分が客だったら何を望むか、そうしたお客様目線を大切にして施設づくり、設備投資を行ってきました。その結果、1990年代の平均と比べると、昨シーズンは入場者数が305%、売り上げは390%の水準になっています。今年は雪も多く、オープン時から最高のコンディションをご提供できています。おかげさまで人気ランキングで1位になったりしたことから、東北や北海道のスキー場関係者の視察も増えていますね」
オーストラリア人や中国人などインバウンドが多かった北海道ではインバウンドが消えて閑古鳥といったゲレンデが少なくない。しかし、このスキー場では、コロナ前からインバウンドに関係なく集客ができていたため、インバウンド消失の影響はなかったという。
大阪、神戸、京都、そして名古屋からのアクセスの良さをいかし、日帰りに特化したビジネスモデル、客に満足感を与えるための大胆な設備投資─こうした経営努力が、コロナ禍の逆風の影響もものともせず、逆に入場者数を増やす結果となったのである。

青年社長「住みやすい地域づくりに貢献したい」
コロナ禍による行動制限、インバウンド消失、景気低迷という逆境下で入場者数を増やし続けているグランスノー奥伊吹だが、スキーシーズン以外の資源活用、観光経営にも注目が集まっている。
スキー場のオフシーズンには2700台収容の駐車場を活用してジムカーナ、ドリフト、バイクの走行や、車やバイクの展示会などを行う「奥伊吹モーターパーク」を運営。さらにはグランピングブームの先駆けとして話題となった大型グランピング施設「グランエレメント」を運営することで、スキー場従業員の通年雇用を可能にした。
それだけではない。2020年には関西電力グループと「奥伊吹水力発電合同会社」を設立し、水力発電事業に参画。今年から運転を開始し、将来的にはスキー場やグランピング施設など自社施設への電力供給を目指すという。

次々と事業改革を実行する草野社長は、今後どんなビジョンを描いているのだろうか。
「会社としての長期目標として、地域活性化につながる2070年に向けた企業理念を掲げています。滋賀県北部は人口減少、少子化のまっただ中にあります。そこで観光、スキー場経営を通じて人の住みやすい地域づくりに貢献していければと考えています。水力発電事業も将来を見据えてのもので、温暖化対策にもつながるはずです」
スキー場経営、観光事業を基軸に地域の活性化、将来を志向する。そんな青年社長の行動力が、日本一のスキー場を生み出した。次の一手に注目したい。