城崎温泉、外湯巡り彩る木造建築通りに「庭」の趣 〜街エクスプローラー
(日本経済新聞 2024年3月26日)
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00009590Z10C24A3000000/
【ホッシーのつぶやき】
『”街全体が宿”である城崎は通りを”庭”とする文化』って良い響きの言葉ですね…
日本の独特の文化を広く海外の方に知っていただきたものです。
旅館「森津屋」の店主の「お写真を撮りましょうか」は、最高のおもてなしであり、最高のセールスポイントです。城崎はこれまで新しいマーケティング手法でも目を見張るものがありましたが、古くからあるおもてなしこそ光っているのかもしれません。
【 内 容 】
読むか書くか、ぼんやりと部屋の前の椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた――。城崎温泉(兵庫県豊岡市)を舞台とした志賀直哉の小説「城の崎にて」に描かれた光景は、多くの日本人に愛され、今はインバウンド(訪日外国人)をも魅了してやまない。
城崎は文豪の足跡や冬場のカニ料理で知られる国内有数の温泉街。豊岡市によると2023年に城崎地域に宿泊したインバウンドはおよそ5万人。11年に比べ45倍と爆発的に増加し、いまや国際観光都市の様相も呈している。
大阪駅から特急「こうのとり」に揺られ、およそ2時間40分。城崎温泉駅を出て商店街を進むと川沿いに柳並木が続く通りに出た。
「お写真を撮りましょうか」。観光客に次々と話しかける男性は、スマートフォンを手に様々な角度・場所から写真に収める。年間の宿泊客のうち8割近くをインバウンドが占める旅館「森津屋」の店主、蜂須賀貴之さんだ。
写真がSNSなどでシェアされ、2015年ごろから外国人の予約が急増したという。城崎全体でも観光地域づくり法人(DMO)や各旅館が外国語での情報発信・ウェブ予約に力を入れている。
米国からカップルで訪れたマーク・カステヤノスさん(33)は「街歩きを楽しみたい」と着物を身につけて通りへ繰り出した。お昼を過ぎると、浴衣や着物姿で外湯や土産物店を巡る宿泊客らで、さらににぎわってきた。
城崎では30ほどの木造3階建て旅館が現存し、通り沿いに居並んでいる。こうした街並みは、1925年に発生した北但大震災で焼け野原となった後、都市計画に基づき復興したことが背景にある。鉄筋コンクリート製の建物で整備したかった行政に対し、木製で復興したいという住民の強い思いがあったようだ。
今なお建築に残る「城崎らしさ」を探そうと、地域住民や大学教授が昨年、調査をした。城崎の風情が漂う旅館「小林屋」はその一つ。通りに面した2、3階の客室の縁側部分には大きなガラス窓が張られ、膝丈ほどの木製の欄干がついている。
2階に上がり、縁側の椅子に座った。窓を開け欄干に肘をつくと、通りを歩く人に話しかけられそうなほど近く感じられた。当主の永本冬森さんは「外であり内でもある空間。見られることも含めて楽しんでもらえれば」。なるほど、自分が通りの中に溶け込んでいるような気分になった。ただ法令改正やプライバシー意識の高まりから、開放的な縁側は姿を減らしていったという。
調査をした京都工芸繊維大学の清水重敦教授によると、「街全体が宿」である城崎は通りを「庭」とする文化がある。縁側が通りに面しているのはそのためで、本来は部屋着である浴衣を着て通りを歩くのも「表と裏の逆転」が起きているという。こうした建築の名残が、今のそぞろ歩きに文化として継承されていると清水教授は考察する。
三木屋に残されている、志賀直哉が利用していた客室
「城の崎にて」が執筆された旅館「三木屋」で古写真を見せてもらった。志賀が当時泊まった部屋も通りに面した2階だ。その部屋は震災で失ったが、後に志賀が利用した別の部屋は100年たった今も大切に残されている。主人の片岡大介さんは「木造建築の伝統と文化をこの先も残していきたい」と話した。
すっかり日が暮れ、通りはカランコロンとゲタの音が響く。取材も一段落ついたし、記者も疲れを癒やしに外湯を巡ることにするか。
【推しビュー】温泉街一望の山頂駅
通りの先にあるロープウエーに乗れば、山頂駅にある展望台から城崎温泉を一望できる。川沿いに建物が密集している街並みがよくわかる。街の先には円山川、さらに日本海を望む。展望台近くには願いをこめて皿を投げる「かわらけ」投げも。兵庫県加古川市の女子大生(21)は「入れ!と思ったけどダメでした」と小さく落胆しながらも笑顔を見せた。
ロープウエーの温泉寺駅で降りれば城崎温泉の発祥ゆかりの「温泉寺」に参拝できる。1300年前、城崎を訪れた僧侶が修行を行った末、温泉が湧出したとされている。
記事・写真・映像・編集
高橋直也