【観光学へのナビゲーター 35】「そこにしかない場所」を創る 日本国際観光学会オーバーツーリズム研究部会代表・立教大学観光研究所・杏林大学 井上晶子
(観光経済新聞 2021年5月7日)
https://www.kankokeizai.com/【観光学へのナビゲーター-35】「そこにしかない/

【ポイント】
『観光のひろばZOOM』によく参加いただいている井上晶子様の記事が、観光経済新聞に掲載されていた。
コロナ禍が過ぎれば、堰き止められた水が溢れ出すように人々はどっと動き出すだろう。コロナ禍以前に話題となっていた「オーバーツーリズム」による「地域への多様な負荷」問題に再び直面するだろうと述べられている。
そして「観光地に人が求めるのは、その場所だからこその体験、感じられる個性である」と括られるなかで、観光地についても「らしさを失う」ことへの警鐘を鳴らされている。
9月の『観光のひろば』には、井上晶子様に登壇してもらう予定である。

【 内 容 】
 人々は旅を通して楽しみ、学び、交流を重ねてきた。人流は多様な文化を育み、活気ある豊かな場所をも生み出してきた。COVID‐19により、人々の流れが抑制された今、経済的打撃を始めこれらの全てが大きな影響を受けている。しかし、この時期が過ぎれば、堰き止められた水が溢れ出すように、人々はどっと動き出すだろう。そして、コロナ禍以前に話題となっていた「オーバーツーリズム」現象による「地域への多様な負荷」の問題に再び直面するだろう。

 当オーバーツーリズム部会では、観光地の先行きに不安を抱きつつ、「この期だからこそ」と、今後を見据えた調査や議論を重ねてきた。その中で、観光関連事業者や住民が、観光客が多くなりすぎると「この地らしさが失われていくのでは」との危惧を抱きつつあることが明らかとなり、場所の持つ価値の持続と新たな創造にとって、「らしさの重要性」が一つのテーマとなっている。

 人は常に自分らしさ・自己アイデンティティを基に行動する。人から、「あなたらしい・らしくない」と言われることと、自分が感じている「わたしらしい・らしくない」とは、しばしば異なる。人はこの葛藤を繰り返しながら自己アイデンティティを確立し、自分らしさの一貫性を保ち、時と場に応じた振る舞いのできる人として成長していく。しかし、この過程において、周囲が期待する自分に合わせなければと思うあまり、自分を見失い、一体自分は何者かが分からなくなることが有る。子供が大人になっていく過程で、大なり小なり誰もが迎えるいわゆる「アイデンティティの危機」である。

 観光地の成長過程においても同様の危機が有るのではないだろうか。多くの人に来てもらいたいとの思いから、相手の多様性に合わせ、いろいろな求めに応じ過ぎることや、成果を上げた他所のやり方をそのままを取り入れようとすることである。そのため、長い歴史の中で育んできた「この場所ならではの特徴」、みんなの共通の拠り所といった、「その場所のアイデンティティ・らしさ」を見失う場合があるかもしれない。どの幹線道路も、駅前も同じような風景が多くなり、時には“わたしのいるところ”の区別がつかない。空間の限界を超える宿泊客の取り込みと、その行動パターンに併せすぎたことで、その地の風情ばかりでなく、特有の自然・地形さえも失ったかつての温泉地が一つの例であろう。

 「らしさを失うことは、数の論理での成長を目指す過程において、何処もが直面する「場所の危機」ではないだろうか。観光地に人が求めるのは、その場所だからこその体験、感じられる個性である。

 環境の変化と時を重ねることで、「わたし」が新たな自分らしさを重ねていくように、その地の文脈を見失わなず、その場所が積み重ねてきたものを保ち、活かすことで「そこにしかない」新しさも生まれる。

 苦しくはあるが、将来を考える時間が与えられたこのモラトリアム期間を有効に生かしたい。