1月10日の産経新聞夕刊のコラムに『観光』の語源について触れられていた。
『観光』の語源は中国の古典「易経」にある。「国の光を観る」用って王に賓せさるるによろし」が出典元とあり、この言葉を知る人は多い。

諸説あるが、哲学者、竹内照夫さんの「四書五経入門」の内容が紹介されていた。「国君が国の光、国の名誉ともなるべき賢人や秀才を探し出し、客としてもてなす、といった場合に、招待される当人となるような、吉運に出会うであろう」という意味なのだという。なので、「観光」の原意は「国の光である、素晴らしい人物に面接すること」というのが竹内さんの解釈。そこから、時代を得て「土地の風光を観ること」に変わっていったとされている。

私は学者ではないので、語源の正しい意味は分からない。『観光』は、自分の住んでいる地域にはない素晴らしい「土地の風光を観ること」と解釈してきた。ただここ数年、フィールドワークで地域の素晴らしい方と接点を持つなかで、「国の光である、素晴らしい人物に面接すること」の意義を強く感じるようになっている。

どちらも意義のあることであるが、今後は「素晴らしい人物に面接すること」に力点をおいていきたいと思う。