皆さんは“橘”という実をご存知だろうか?
柑橘類の始祖で、古墳時代には不老長寿の薬といわれ、今から1900年前に田道間守(たじまもり)が“橘”を持ち帰ったと伝えられている。そして、この“橘”がお菓子の始祖となり、田道間守は菓子の神として崇敬されている。
 
田道間守は、11代垂仁天皇の命を受け、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めて常世の国に渡った。10年かかって葉附きの枝と果実附きの枝を日本に持ち帰ってきたが、垂仁天皇はすでに亡くなっておられた。田道間守は半分を垂仁天皇の皇后に献上し、残りを垂仁天皇の御陵に捧げ、悲しみのあまり泣き叫びながら亡くなったという。
田道間守が持ち帰った「非時の香菓」は、記紀では現在の“橘”のこととしている。「タチバナ」という名前自体、タヂマバナ(田道間花)が転じたものとする説もある。当時「菓」といえば果物のことであったが、この説話からタヂマモリは菓子の神「菓祖」として、兵庫県豊岡市の中嶋神社に祀られ、菓子業者の信仰を集めているとWikipediaに書かれている。

『橘街道プロジェクト』は、“田道間守“や“橘“に縁のある「中嶋神社(兵庫県豊岡市)」「橘寺(奈良県明日香町)「橘本神社(和歌山県海南市)」「垂仁天皇陵(奈良市)」をはじめ、京阪神の”橘“にまつわる菓子産地を結んだ歴史街道をプロデュースする、近畿経済産業局の夢のあるプロジェクトである。
また、このプロジェクトは、菓子のみにとどまらず、寿司、日本酒などの日本の食文化や、鉄道、道の駅など交通機関や観光施設、さらにはコンテンツ産業なども加えたプラットフォームにしようと構想されているという。

6月に、関西ネットワークシステム(KNS)が主催して『橘街道プロジェクト』のシンポジウムが開催され、“橘”に関わりのある団体、研究者、橘を植樹して橘街道を目指す実践者、橘の自生の北限「静岡県戸田」などの事例報告があった。近畿経済産業局 総務企画部長の中村稔氏の熱い講演もお聞きしたが、是非、次のステップに育ててほしいものだと思う。

今後も応援していきたいものだ。

http://www.kansai.meti.go.jp/7kikaku/tachibana/tachibanakaidou.htmlhttp://www.kansai.meti.go.jp/7kikaku/tachibana/project_summary.pdf