日本で登録された『世界遺産』の認知度低さには驚かされたので、Wikipediaで『世界遺産』について調べてみた。

世界遺産には、「文化遺産」と「自然遺産」と「複合遺産」がある。「文化遺産」は、顕著な普遍的価値をもつ建築物や遺跡などとなっており、「自然遺産」は、顕著な普遍的価値をもつ地形や生物多様性、景観美などを備える地域などとあり、「複合遺産」は、文化と自然の両方について、顕著な普遍的価値を兼ね備えるものと書かれている。
認知度のアンケートを見ると、「自然遺産」の認知度は高いが、「文化遺産」の認知度は低いようにも見える。
 
『世界遺産』は、1954年のハーグ条約のなかで、武力紛争の際も文化財などの破壊行為をするべきでないとの考えに端を発している。
そして、1960年、エジプト政府のアスワン・ハイ・ダム建設に際し、ヌビア遺跡が水没する恐れがあることを受け、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを始めた。世界の60か国の援助があり、ヌビア遺跡のアブ・シンベル神殿が移築されている。

これをきっかけに、歴史的価値ある遺跡や建築物等を開発から守る機運が生まれ、1965年に国際記念物遺跡会議が発足した。同年、アメリカも「世界遺産トラスト」を提唱し、ニクソン大統領も1972年までに具体化すると打ち出した。1972年に2つの流れが一つにまとまり、第17回ユネスコ総会で、『世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約』(世界遺産条約)が満場一致で成立している。翌年、アメリカが初めて批准・締結し、1975年、20か国が締結したことをう正式に発効している。
1978年、アメリカのイエローストーンやエクアドルのガラパゴス諸島など12件(自然遺産4、文化遺産8)が世界遺産リストに初めて登録されている。

日本は、1992年に世界遺産条約を批准した125番目の締約国となっており、現在は、190ヶ国が締約しており、981件(160ヶ国)の世界遺産が登録されている。

日本は、先進国のなかではもっとも遅く批准した国であるにもかかわらず、今、世界遺産登録運動に熱心な国にあげることができる。
バブルまで、日本は高度経済成長を優先して、自然保護や文化財保護にそれほど熱心ではなかった。「世界遺産に登録されると自由な開発ができなくなる」との論調もあった。
世界遺産に登録されると、「世界遺産を保護・保全する責任は保有国にある」のだ。この保護・保全活動についても「知らない人」が56.7%あるという。世界遺産登録運動の前に、世界遺産をどのように保全していくのかしっかり議論してもらいたいものだ。