「さよなら市電、こんにちは万博!」のレポートです。

市電の写真が懐かしい…

「十三のいま昔を歩こう」さんの記事は、詳細な記録に基づいて書かれており、勉強になります。

また、この時代、昭和35年から45年までの大阪の息吹を感じる内容です。

昭和35年、大阪港~弁天町間の地下鉄工事が始まりました。

この工事で明治36年に初めて市電が走った築港線の一部から、市電撤去が始まることになります。

昭和37年、第2次都市交通審議会大阪部会が行われ、その翌年に出された答申には「地下高速鉄道整備増強計画の進展に伴い、その路線と重複する路面電車は逐次廃止することが望ましい」というものでした。

昭和38年、国道1号線と四つ橋筋の混雑緩和の為、地下鉄3号線の西梅田延長工事が急遽進められ、明治41年に華やかに開通した南北線も撤去されます。

昭和39年、野田阪神~玉川町4丁目、大阪駅前~阪急東口が廃止、それもあってか、予想以上に市電の乗客数が激減していき、赤字が増大していきます。

そんな中、昭和40年9月14日、大阪万国博開催決定というビッグニュースが日本中を駆け巡りました。

これにより、大阪の都市交通の拡充が進みます。

昭和41年3月29日、大阪市議会は昭和44年3月までに路面電車の全廃を決定。

それは大阪万国博覧会が開催されるちょうど1年前になります。

http://asokan.jp