「小京都」もう魅力ない? 「全国京都会議」加盟の自治体、最盛期から3割減
(京都新聞 2022年6月11日)
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/812968

【ホッシーのつぶやき】
「小京都」を名乗る自治体が、最盛期の1999年に56市町から、3割減の40市町だという。
1985年の設立当初は、共同で観光パンフの作製や、連携してPR活動を展開してきたが、共同するメリットが薄れてきたようだ。
訪日外国人がターゲットになってきた現代、あえて京都をPRする必要はなくなり、地域の魅力としてPRするほうが良いということなのだろう。

【 内 容 】
「小京都」を名乗る自治体が減り続けている。京都に似た街並みや文化を持つ市町が集う「全国京都会議」は、最盛期の1999年には56市町が加盟していたが現在は3割減の40市町。「北陸の小京都」と称された石川県金沢市、「飛騨の小京都」として知られた岐阜県高山市も看板を外している。かつて旅心を駆り立てた「小京都」の3文字は、魅力を失いつつあるのだろうか。

全国京都会議は1985年、京都市観光協会が呼び掛け、秋田県角館町(現仙北市)や島根県津和野町など27市町で発足した。共同で観光パンフレットを作製するなど、連携した観光誘致活動を展開してきた。これまでに加盟した市町数は63に上る。ところが2000年以降、退会する市町が増え始め、これまでに24市町が脱退した。

退会理由で目立つのは観光戦略の転換だ。08年に脱退した金沢市は「そもそも金沢は城下町。公家文化の京都とは違うという意見が以前からあった」とし、金沢固有の文化を発信する方向にかじを切ったという。長野県松本市(04年退会)も城下町であることが退会の一因とする。高山市や岩手県盛岡市も小京都の看板を下ろした。

福井県大野市は、04年に退会。小京都の名はやはりメリットが大きい、と3年後に再入会したが、その後に越前大野城の人気が急上昇し、「大野ならではの魅力を発信したい」と16年に再び退会した。

年5万円の分担金を理由とするケースもある。岩手県遠野市は東日本大震災の影響で観光客が激減し「財政的に厳しくなった」と12年に退会。熊本県人吉市も20年、熊本豪雨被害からの復興優先を理由に参加を取りやめた。

19年に退会した京都府亀岡市のように「望んでいたほどのスケールメリットが感じられなくなった」と会員市町の減少自体を理由に挙げるまちもあった。

一方で、京都ブランドを重要視するまちも少なくない。

15年に加盟した福島県の棚倉町は、東日本大震災の影響で観光客が激減し、回復策を模索する中で京都会議に着目。棚倉藩初代藩主の墓が大徳寺(京都市北区)にあることなどから「東北の小京都」としてPRする戦略を取っており、担当者は「小京都を目当てに訪れる観光客が増加した」と手応えを語る。

加盟中の40市町のうち、20市町は発足当初から参加する古参組。高知県の旧中村市(現四万十市)は下鴨神社(左京区)と関係があり、「全国京都会議発足のきっかけは、実は私たち四万十市」とホームページで紹介するほど、小京都への思い入れは深い。担当者は「地元は四万十川など自然豊かなイメージが強いが、小京都を名乗ることで文化的な側面もPRできる」とメリットを強調する。

「山陰の小京都」として有名な津和野町も発足メンバーで、1970年代には女性誌を愛読する「アンノン族」と称された観光客がこぞって訪れた。10年ほど前には退会が議論されたが、町観光協会は「長年、小京都の恩恵を受けてきた」として継続を決めた。

「脱・小京都」の流れについて、京都市観光協会は「各市町に事情があり、加盟数の増減は気にしていない。京都にゆかりがあるまちとともに観光で発展したいという思いは変わらない」としている。