旅先で職人に弟子入り体験「ベッドアンドクラフト」が国内外から注目のワケ。移住のきっかけにも 富山県南砺市井波地区
(SUUMOジャーナル 2022年11月15日)
https://suumo.jp/journal/2022/11/15/191399/
【ホッシーのつぶやき】
ワクワクする地方創生の取り組みです。
富山県南砺市井波地区。「木彫りの町」として知られる職人の町に移住して、宿を始め、それがきっかけで職人の作品を宿にギャラリーを設け、その職人に会ってみたいと思い、職人さんの工房での工芸体験ワークショップをセットにした「職人に弟子入りするプラン」を2016年から始めておられます。
この取り組みは職人のまちの活気が蘇ります。現在は、販売店でモノを買うことが当たり前になっていますが、作り手の息吹を感じることが大切だと感じました。
【 内 容 】
(写真撮影/松倉広治)
日本屈指の「木彫りの町」として知られる富山県南砺市井波地区。人口約8000人のうち200人以上が木彫り職人という井波で、2016年に始まったのが「ベッドアンドクラフト」だ。「職人に弟子入りできる宿」のコンセプトどおり、町に点在する6つの古民家に滞在しながら、職人の工房でクラフトのワークショップが体験できるという、新しいスタイルの宿泊施設である。運営を担うコラレアルチザンジャパン代表の建築家・山川智嗣さんは「井波の伝統文化の魅力を楽しむとともに、地域の方々との交流も旅の楽しみにしてほしい」と語る。取り組みが始まってから6年、職人と旅行客をつなぎ、町ににぎわいを生んできた「ベッドアンドクラフト」。山川さんに、立ち上げの経緯から施設の仕組み、町の将来像などを聞いてみた。
モノづくりの醍醐味を味わうためにJターン
―山川さんは東京の設計事務所を経て、カナダや中国など海外を拠点に活動されてきました。2015年に帰国後、井波に移住した理由から教えてください。
―山川智嗣(以下、山川):帰国の理由は日本で仕事が入ったことがきっかけですが、移住先に井波を選択したのは上海での経験が大きいですね。上海では公共建築や商業施設などの設計に携わっていたのですが、そうしたきらびやかなビルの数々は、職人さんの泥臭いモノづくりに支えられていたんです。
上海で出会った職人さんたちは「図面は読めないけれど、お前のつくりたい世界を言ってくれ。俺たちがつくってやる」と言うんですよ。床材に石を使うときも、ひとまず山に連れて行かれ、石を掘る場所から話し合うなんてこともありました。そうやって現場の職人さんとモノをつくっていくプロセスは、とても面白かったですね。
建築家であり、コラレアルチザンジャパンの代表を務める山川智嗣さん。富山県出身。東京の設計事務所で同僚だった妻と海外に拠点を移し、2011年に独立。帰国後は東京、上海での仕事を続けながら、2016年にベッドアンドクラフトをスタートさせた(写真撮影/松倉広治)
―設計だけでなく、現場で一緒にモノをつくる感覚が楽しかったと?
山川:そうですね。日本では住宅やビルを建てる場合「つくる」というより「選択する」なんです。床材、壁材、設備機器など、どれもメーカーからパーツを選び、プラモデルのように組み立てていく。しかも、東京の工場にオーダーしたら最低100ロットからしか受けてもらえない。型をつくるだけで相当なコストがかかってしまいます。おまけに職人との距離も遠く、僕としては味気ないなと感じることもありました。
―ある程度、フォーマットが決まっていると。確かに、モノをつくっている感覚は薄くなるかもしれませんね。
山川:でも、なかには「オリジナルのドアノブをつくりたい!」という人もいると思うんです。たとえドアノブ一つでもオリジナルなら思い入れが生まれ、生活がより豊かになるんじゃないでしょうか。だから、僕は日本でも上海のような「手仕事の文化」を大切にしたいと思ったんです。
そう考えたときに、ふと富山県の井波が頭に浮かびました。手仕事の文化が色濃く残り、職人が多い井波に行けば「何か面白いことができるかも。自分のアイデアを形にしてくれる人がいるかも」と。そして上海のように現場に近い場所でモノづくりの醍醐味が味わえるかもしれないと考えました。
瑞泉寺の門前町である「八日町通り」(写真撮影/松倉広治)
―それまで、井波を訪れたことはあったんですか?
山川:はい。幼いころから木彫りが盛んな井波という町があることは聞いていましたし、親戚が住んでいたのでよく遊びに行っていましたね。また、妻の父親が彫刻を30年以上も習っていて、兵庫県民ながら1年に1回は井波に通うほど井波彫刻の大ファンだったんです。そういった縁もあり、移住を決心しました。
―そのときから、宿泊施設の運営を考えていたのですか?
山川:いえ、全く(笑)。宿泊施設を始めたのはたまたまというか、自然な流れですね。移住前から猫を飼っていたのですが、井波にはペットが飼えるマンションがなく、一軒家しか選択肢がありませんでした。その際、地元の人に紹介してもらったのが、後にベッドアンドクラフトの1軒目となる元建具屋の古民家だったんです。
購入時の元建具屋。山川夫妻は賃貸を検討していたものの、オーナーからは買ってほしいと言われたそう。そこで義父に相談したところ「住まなくなったら俺がそこを宿にして井波を回る」と後押しされ、家族の別荘という気持ちで購入を決意(画像提供/ベッドアンドクラフト)
山川:家自体は2階建の200平米と広かったので、当初は事務所兼住宅として使っていました。そのうち、海外暮らしの時に知り合った友人が、世界中から遊びに来てくれるようになったんです。そこで、これだけ友人が来るなら2階の余剰スペースを宿にしようと思い立ちました。
「古民家」と「地元の職人」を結びつけた理由
―現在のベッドアンドクラフトは「職人に弟子入りできる宿」がコンセプトになっています。このアイデアはいつ着想されたのでしょうか?
山川:当初はコンセプトがなく、なんとなく“その土地らしさ”を感じられる宿にしたいと思っていました。特に僕は建築家なので、どうにか井波のエッセンスを建築のなかに取り込みたいなと。そこで、まずは建物内の装飾をお願いできる人を探しました。そのときに紹介してもらったのが木彫家の田中孝明さん。彼との出会いがなければ、今のベッドアンドクラフトはなかったですし、僕は今も井波に住んでいないと思います。
―それほど衝撃的な出会いだったんですね。
山川:「木彫刻」と聞くと、みなさん欄間や獅子頭など、クラシックな伝統工芸を思い浮かべませんか?
井波彫刻は「彫刻師」と「彫刻家」に分けられます。彫刻師は欄間や獅子頭など、クラシックな伝統工芸の職人。超絶技巧で、寺社仏閣の建築装飾を行っています。一方、彫刻家はアーティスト。もちろん基本的な技術もあり精巧なモノもつくれますが、彼らは造形で“表現”をしているんです。田中さんも、その一人でした。
初めて田中さんの人形彫刻を見たときは、本当に感動しましたね。土着からくる表現にすごくアートを感じました。同時に、こんなに素晴らしい作品をつくっているのに、なぜ世の中の人は知らないのだろうと思ったんです。
田中孝明さんの作品。「みず・ひかり・たね」のテーマでつくられた、少女の木像(画像提供/ベッドアンドクラフト)
山川:そこから興味が湧き、この感動を広く伝えたい、多くの人に見てもらいたいと思いました。そこで、自分の宿にギャラリー機能をもたせ、彼の作品を体験できるような場所にできたらいいんじゃないかと。
昔はどの家にも和室があり、床の間がありました。そこには彫刻や掛け軸などの装飾品が飾られ、建物のなかに「美」の余白があったんです。しかし、現代の暮らしでは装飾品を置く場所も少なくなり、置き方もわからない。だったら、ここでの宿泊体験を通して、その感覚を知ってもらおうと考えました。
―――その後、設計段階から田中さんの意見を取り入れたそうですが?
山川:そうですね。例えば、どこかの文化ホールに行くと、空間に馴染まない絵画や彫刻が唐突に飾られていませんか? 後付けで飾られた作品って、すごく浮いているように感じてしまうんですよね。だから、僕は宿に作品を置くなら、作家さんに設計段階から一緒に入ってもらい、意見を取り入れた空間づくりが必要だと考えました。
ビフォアー(画像提供/ベッドアンドクラフト)
アフター。田中さんには具体的なオーダーはせず、どんな作品をいくらでも置いていいと伝えたそう。世界観が明確になった結果、空間と体験が見事に調和した宿が完成(画像提供/ベッドアンドクラフト)
―では、工芸体験のワークショップをセットにしたのはなぜですか?
山川:今は体験型観光が流行っていますが、それに乗っかったわけでも、ましてやお金を儲けるためでもありません。僕たちとしては、この場所で作品に感激してもらえたら、実際にそれをつくった職人さんに会ってもらい「あなたの作品が欲しい」と言える関係性をつくりたいと思ったんです。そこで、職人さんの工房での工芸体験ワークショップをセットにすることにしました。
また、外から来た人に職人さんのライフスタイルを見てもらうことも、意義があると思いました。彼らの創作活動と生活の場である工房に行って直接コミュニケーションをとり、その生活、作家性、作品の背景などに対する理解を深めてもらう。そうすれば、井波や職人さんのことをより魅力的に感じてもらえると思うんです。
ギャラリーの作家さんは紹介でつながっていったそう。「どの作家さんも魅力的で、宿泊客に紹介したい人がたくさんいます」と山川さん(写真撮影/松倉広治)
―そうやって「職人に弟子入りするプラン」が生まれたんですね。作家さんからの反応はいかがでしたか?
山川:作家さんたちは、それまで実際に作品を使う方と関わる機会がなく、その思いを理解できていない部分もあったそうです。でも、ワークショップを通して初めて自分の作品を目の前で見てもらい、その反応を目の当たりにし、すごく良いインスピレーションをもらえたと言っていただきました。
職人のもとで「弟子入り」体験。職人の道具と技術を用いて、3時間たっぷり作品づくりに没頭できる(画像提供/Kosuke Mae)
6軒の宿泊施設に6人の作家の作品を展示
―井波の観光を活性化させるという点でもベッドアンドクラフトは一役買っていると思いますが、宿を始めた当初の地域の人たちの反応はどうでしたか?
山川:2016年9月に最初の宿を開いた当時は「民泊」という言葉もまだ浸透しきっておらず、わりと懐疑的に見られていたと思います。「上海から来たやつが、何やら新しい宿をつくったぞ!」って、地域の人たちをざわつかせてしまいました(笑)。たぶん、みんな1年で潰れると思っていたんじゃないかな。
2016年9月にオープンした「TATEGU-YA(タテグヤ)」。築50年の元建具屋を改装し、木彫家・田中孝明さんの作品を展示した(画像提供/ベッドアンドクラフト)
山川:でも、続けているうちに目に見えて観光客が増えていくわけですよ。しかも、当初は僕の個人的なつながりもあって、外国人ばかり。地元に海外の人が訪れることを嬉しく感じる人も多いようで、次第に地域の人たちが僕らを見る目も、そして、考え方も変わっていきました。井波はもともと産業の町なので、そもそもゲストを迎えようという発想がありませんでした。でも、こんなに人が来てくれるなら、自分たちも何かやってみようと考える人が増えていったように思います。
例えば、自分も宿をやってみたいという人に対しては、建物をホテルとして活用する方法や集客のやり方などをアドバイスしました。そのうち、「ボロボロの空き家があるんだけど……」といった相談も受けるようになり、その建物を使ってベッドアンドクラフト2軒目となる宿「tae(タエ)」をオープンさせるなど、新たな展開にもつながっていきましたね。
2018年オープンのtae。元養蚕業で栄えた豪商の邸宅を活用している。ここには漆芸家・田中早苗さんの作品を展示(画像提供/ベッドアンドクラフト)
山川:その後、ベッドアンドクラフトが所有する施設は6棟にまで増えていきました。一棟ごとに、漆芸家や陶芸家など一人の作家さんの作品を展示しています。ちなみに、展示作品は宿が買い取るのではなく、宿泊費の一部をリース料として職人に還元するという仕組みです。また、展示物の一部は宿泊者が購入することもできて、作品が売れることで作家さんはまた新しい作品を制作でき、宿の展示空間も移り変わっていく。これを「マイギャラリー制度」と呼んでいます。
2019年オープンのKIN-NAKA(キンナカ)。かつては15軒あった料亭のなかでも特に格式の高かった「金中」を改修。木彫家・前川大地さんの作品を展示(写真撮影/松倉広治)
階段の頭上には木彫りのシャンデリアも。周りは富山湾をイメージした青色に塗装(写真撮影/松倉広治)
2019年オープンのMITU(ミツ)。時が「満つる」、静かに「蜜な」時間を過ごす。井波を訪れる人への思いを「ミツ」に込めて名付けられた。陶芸家・前川わとさんの作品を展示(写真撮影/松倉広治)
2019年オープンのTenNE(テンネ)。施設内は菩薩像が身にまとう柔らかな天衣(てんね)のように心地よい時の流れを感じられる。仏師・石原良定さんの作品を展示(画像提供/ベッドアンドクラフト)
2020年オープンのRoKu(ロク)。まちの診療所を改修。岩や石の「Rock」、緑の「ロク」、6棟目の「6」などの意味が込められている。作庭家・根岸新さんが庭を手掛けるとともに、空間全体で自然を感じる仕掛けを施している(画像提供/ベッドアンドクラフト)
―宿泊施設以外に、「季ノ実」というショップ兼ギャラリーも運営されているそうですね。
山川:本当は宿に泊まって、ワークショップに参加してほしいのですが、なかにはハードルが高いと感じる人もいます。そこで、もっと気軽に作家さんたちの作品に触れてもらおうと、ショップ兼ギャラリーをオープンさせることにしたんです。
ショップ&ギャラリー「季ノ実」。ベッドアンドクラフトの作家さん以外の作品も販売しているので、いろんな作家さんを知ってもらうきっかけになれば」と山川さん。彫刻家がつくった木型で焼いたクッキーなど、オリジナルの手土産も販売している(写真撮影/松倉広治)
井波の欄間の代表的なモチーフである蘭、竹、菊、梅を模した「食べる彫刻クッキー」(画像提供/ベッドアンドクラフト)
井波を新しい文化の発信地に
―子どものころに訪れていたとはいえ、もともとはそこまで深いつながりがなかった井波のために力を尽くしていらっしゃいます。山川さんのなかで、何がモチベーションになっているのでしょうか?
山川:やはり地域の方々に「自慢できるところができた」と言ってもらえるのがすごく嬉しいですね。ベッドアンドクラフトを始めたころなんて、地元の人から自虐混じりに「なんで井波に来たの?」と言われていましたからね。もちろん謙遜でおっしゃっているのですが、自分が暮らす町をそんなふうに思ってしまうのは残念だなあと。それが最近では、地域の方々に「ベッドアンドクラフトがある井波だよ」と自慢してもらえるようになった。多少はシビックプライドにも貢献できたように思います。
―もはや宿泊施設の運営の域を超えて、町づくりに近い活動ですね。
山川:「町づくり」というと大きなスケールになってしまいますが、自分たちの手で暮らしやすい環境を整えている感覚ですね。例えば、最近はパン屋さんを誘致したんですよ。それまで井波には路面店のパン屋さんが一軒もなかったんです。だから、単純に僕自身が「朝から美味しいパンを食べたい」と思って。ほぼ自分のためですが、きっと町の人も喜んでくれるだろうと、頑張ってオーナーさんを口説き落としました。また、今はコーヒー屋さん、クラフトビール屋さん、2軒目のパン屋さんのオープンも控えています。そうやって自分とみんなの幸せにつながる機能が一つひとつ増えていったら、ちょっとずつ町が良くなっていくのかなと思います。
山川さんが誘致した「baker’s house KUBOTA」。町の人たちも「井波で行列なんて何十年ぶり?」と喜んでいたそう(画像提供/ベッドアンドクラフト)
(画像提供/ベッドアンドクラフト)
―最後に、今後の目標を教えてください。
山川:そもそも井波が「木彫りの町」になったのは、瑞泉寺が焼失した際に京都から彫刻師の前川三四郎が招かれ、地元の宮大工らにその技法を伝えたことがきっかけです。そこから井波彫刻が誕生し、伝統文化として受け継がれてきました。ですから、今度は井波から日本中にどんどん人材を輩出し、新しい文化を根付かせていくようなことができたらいいなと思います。
そのために、今はそうした「文化の源泉」になる人を一人でも多く井波に呼びたいと思うんです。モノづくりの文化に惹かれて移住した僕のように、この町の職人さん、その至芸に魅力を感じ「自分ならこういうことができる」という意欲を持った人がもっと集まってくれたら嬉しいですね。