静岡県小山町まちづくり専門監(元由布院温泉観光協会 事務局長)溝口 久さん
(平成29年9月22日)  参加者数:36名

由布院に危機が襲ったのは1975年(昭和50年)の大分県中部大地震だったといいます。「由布院は観光どころではない」という風評被害がたち、この風評被害から立ち直るため、「辻馬車」を走らせ、「ゆふいん音楽祭」や「湯布院映画祭」「牛食い絶叫大会」とイベントを矢継ぎ早に打ち、由布院は元気だと伝えることだったといいます。当時、中谷健太郎さんは「宣伝するな、表現しろ」と、「由布院は元気です、頑張っています、来てください」の宣伝は行わなかったといいます。

そのような流れの中で、平成8年に由布院温泉観光協会の事務局長の公募があり、静岡県職員でありながら、事務局長に応募したいと人事などを説得し、全国から応募があった20名ほどの中から溝口さんは選ばれたといいます。

由布院温泉は、人口1万人、年間観光客数380万人、年間宿泊客数80万人で、60%以上がリピーターだそうです。
由布院のまちづくりは、昭和45年「由布院の自然を守る会」発足、昭和46年「牛1頭牧場運動」などが始まったといい、全国の中でも先駆的な取り組みの地域でした。しかし、ドイツ研修旅行でドイツの町議員から「町にとってもっとも大切なものは「緑」と「空間」と「静けさ」。その大切なものを創り、育て、守るために君たちは何をしているのか」と言われ、その精神に学び、由布院の目指すべき観光は「団体旅行による歓楽型ではなく、自然、気候風土を活かした生活型観光地」、「最も住み良い街こそ、もっとも優れた観光地だ」との理念に至ったといいます。
「牛食い絶叫大会」を開催したのも、ゴルフ場の乱開発により牧草地を失いことにつながりかねないことから、畜産振興を図るため、牛1頭のオーナー制度を導入し、そのオーナーさんにバーベキュウを楽しんでもらう余興として始まったといいます。
また、宿泊施設の料理も、かつては総理大臣賞を受賞したような料理長が取り仕切っていたようですが、「料理人にクロウトはいらない」として、若い料理人たちが中心となり、地産地消による、由布院らしい郷土料理などを提供する流れに変えたといいます。

そのようにして作り上げられた由布院も、バブルの頃には観光入込客数は400万人を突破。宿泊施設や商業施設も増え乱開発が続いたといいます。
今は、これまで由布院を守ってきた人々と、外部資本で観光協会や旅館組合に加入しない人々との間で、新しい由布院を作らなければならない苦労があるようです。

溝口さんは今、静岡県小山町まちづくりの仕事につかれています。
豊門公園の修景、森村橋復元、フィルムコミッションのスタジオ事業などのプロジェクトに取り組まれています。そのため“ふるさと納税”を活用されていますが、小山町のふるさと納税は全国23位といい、募集をかける時から使途を文化財保全に使うなど明確にされているそうです。
小山町でのプロジェクトの精神も「地域住民が豊かになることにある」といいます。

2016年の熊本地震により由布院は閑散としているといいます。
そのようななか久しぶりの常連さんが由布院を訪れ、「久しぶりにここの静けさを思い出した」との声を聞きハッとした。私たちは大切なものを忘れかけていたと、現事務局長の小林さんは語っておられます。

由布院が、本来の由布院の良さを取り戻すため、少しでも応援していきたいものです。