劇場街「道頓堀」の復興 並木座仕掛人・山根秀宣さんの挑戦(トラベルニュース 2021年5月14日)
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【ホッシーのつぶやき】朝ドラ『おちょやん』には、毎回、泣かされました…私が知っている浪花千栄子さんは、子供の頃に聞いたラジオ番組「お父さんはお人よし」ぐらいですが、大正時代、昭和初期は、「おちょやん」のように貧しくて苦労した人も多かったようです。『おちょやん』を観て、”道頓堀が芝居の町やった”と知った人も多いといいます。道頓堀に芝居小屋が建ち並んだのは400年前、ブロードウェイの誕生200年以上前、世界最古の”劇場街”だったと教えてくださったのが、この記事の山根秀宣さんでした。2019年春、その道頓堀の歴史を知ってもらうため、山根さんは道頓堀ミュージアム「並木座」をオープンさせてしまいます。17.5坪の小さな敷地ですが、楽しいです。皆さんも一度、行かれてはいかがでしょうか。

【 内 容 】今を遡ること400年、大阪ミナミの道頓堀には芝居小屋が建ち並び、歌舞伎、文楽、浄瑠璃などが連日上演されていた。まちは芝居好きで粋な旦那衆らで賑わい、世界最古で屈指の「劇場街」だった。その歴史はニューヨークのブロードウェイが誕生する200年以上も前のこと。今はその面影を探すのも一苦労するほどだが、劇場街・道頓堀の復興を期して一人の男が立ち上がった。

往時の賑わいを17・5坪から

インバウンドが隆盛し外国人がかっ歩していた道頓堀に2018年秋、まちの一角に往時の芝居小屋を模した建物が竣工した。その1年後に本格オープンする道頓堀ミュージアム「並木座」仕掛人の山根秀宣さんが私財を投じて建てたものだ。

空堀商店街、北浜と大阪市内のまちづくりに携わってきた山根さんが「自分のやってきた大阪を元気にするまちづくりの集大成」だった。知人の勧めもあり、まちづくりの核をかつて粋な大人のまちだった劇場街・道頓堀の再興と定めた。

香川県琴平町にある現存する最古の芝居小屋「金丸座」に建築家を伴って足繁く通った。実際に「こんぴら歌舞伎」も見学した。道頓堀のわずか17・5坪の小さな敷地に、芝居小屋を再現することに思い至った。

もともと道頓堀に劇場街が形成されたのは1626年(寛永3年)のこと。南船場から芝居小屋三座が道頓堀南岸に移設されたことを起源とする。その後、浄瑠璃座(竹本座のちに浪花座)、中座、豊竹座、角座、武田芝居(のちに朝日座)、竹本座など6座が軒を連ね、最盛期には日本、いや世界屈指の劇場都市だったという。

江戸末期に日本を訪れたオランダの医学者シーボルトが当時の日本を克明に記録した日記に、1826年6月12日に道頓堀を訪れた記録が残っている。山根さんによると、シーボルトは角座を訪れ歌舞伎を見学したらしい。その時、場面展開で「回り舞台」を目撃。ヨーロッパにもない舞台装置に関心したとの記述がある。「今や世界で当たり前の回り舞台は道頓堀が発祥だったのです」と山根さん。

賑わいの音響かせる 旅行会社にも利用呼びかけ

実は、山根さんがミュージアムを「並木座」と名づけたのも、その回り舞台がきっかけ。江戸期の道頓堀で人気を博していた出し物に「からくり人形」もあり、様々なからくりを天才的に考案したのが並木正三(なみき・そうざ)だったそうだ。歌舞伎の回り舞台、セリなども正三の考案で、山根さんはそこから「並木座」と命名しようと決めた。

正三が、水かけ不動尊で有名な法善寺で祀られていることを知った山根さん。苔むした数多くの墓碑の中から正三の墓を探し回り、奇跡的に見つけてお参りをした。その夜、正三が枕元に立ち「師匠の並木宗輔も頼む」という不思議な夢を見た。

「それまでミュージアムを作ることは決めていたのですが、この夢を見て、単にパネル展示だけではなく回り舞台など、正三が考案した舞台装置も再現し、面白く楽しい施設にしようと決めました」

上方芸能史の研究者である荻田清さんや河内厚郎さんらの協力も得て、小ぶりながら劇場街・道頓堀をユニークに追体験できるミュージアムのオープンに漕ぎつけた。

「オープン当初は欧米の方などもお越しになり興味深く見学されていました。今はコロナでたいへんですが、NHK連続テレビ小説『おちょやん』で、道頓堀が芝居のまちと取り上げられ、注目され始めています。クイズも交えた映像、かつらをかぶって記念撮影なども楽しめます。旅行会社の皆さんにもぜひ来てほしいですね」と山根さん。

「旅行会社の方にもぜひ来てほしい」と山根さん。入館料は600円だ

5年後の2026年に道頓堀は劇場街が形成されて400周年を迎える。その前年、400年目の25年には大阪・関西万博が開かれる。その年に、並木座に再現した太鼓櫓に立って、「道頓堀五座」で賑わった劇場街復興の音をまちに響かせるつもりだ。