古民家再生、がんじがらめの法を動かす 金野幸雄さん
国土計画家・コンセプター(人間発見)
(日本経済新聞 2022年6月19日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD171GR0X10C22A6000000/?unlock=1

【ホッシーのつぶやき】
私が金野さんにお会いしたのは今から約15年前、篠山市の副市長をされており、当時から古民家再生や地域の賑わい創出に尽力されていました。09年に一般社団法人ノオト設立。古民家再生の「集落丸山」に取り組まれていました。13年には、関西圏が「歴史的建築物利用宿泊事業」に指定される事業にも尽力されました。今、「一般社団法人創造遺産機構」で、重文を「使いながら守り、次世代に引き継ぐ」ことを目指されています。
これまでのプロセスで、何が大事で、どのような取り組みをしてきたかがよく分かるレポートです。

【 内 容 】

徳島県生まれ。東大工卒。兵庫県職員として河川、道路、都市計画など担当。2007年篠山市副市長。09年一般社団法人ノオト設立。21年つぎと会長。内閣官房「歴史的資源を活用した観光まちづくり専門家会議」構成員

古民家をホテルや飲食店に再生し、地域住民が運営して収益源として活用する。町や村の個性、文化を”動態保存”し、歴史的建築物として次世代に引き継ぐ――。20年以上かけて磨いた手法が、地方創生のスタンダードになりつつある。

丹波篠山は兵庫県の山あいにあり、神戸にも大阪にも京都にも近いのに、日本の懐かしい原風景をたたえた町です。40代半ばだった2001年、県職員としてこの土地のまちづくりに関わって以来、景観形成と古民家再生による地方創生に取り組んできました。

篠山城下町近くの小さな谷の奥に丸山という集落があります。城下町に流れ込む川の水源地で、里山に抱かれた典型的な日本の村ですが、12戸のうち7戸が空き家で、耕作放棄地が目立つ限界集落でした。この集落の空き家を改修し、1棟貸しのホテル2棟、フレンチのレストランというオーベルジュ(食を楽しみながら滞在できる宿)を開業する事業に携わりました。09年10月のことです。

県職員は転勤が多い仕事です。私は07年から出向の形で篠山市(現丹波篠山市)の副市長に就きました。当時は平成の大合併後の負債償還などから財政が悪化。2年間は再建に明け暮れました。人員削減や給与カット、公共工事の休止や補助金廃止などです。

市の第三セクター(三セク)の整理統合・民営化も実行したのですが、かつて嘱託職員を外部化してつくった三セクを、さらに民営化するのですからひどい話です。そしてこちらも人員削減。彼らのために何か新しい仕事を起こせないかと考えました。思いついた事業のひとつが、市内に多数ある古民家、空き家を活用したまちづくり事業でした。

過去に友人の活動を手伝う形で、市内の古民家再生に取り組んだ経験が頭にあった。
その古民家は篠山城下町の中心部にありました。江戸時代に建てられた敷地100坪(330平方メートル)の古びた町家で、友人が1000万円で購入しました。その友人はボランティアを集めて再生しようというのです。

再生には2年かかりましたが、結局2230万円で売ることができました。不動産の世界には「壊して新しく建てた方が安い」という常とう句がありますが、それは噓。そのことを立証できました。

傾いたり壊れかけたりしていても、古民家は直して使うことができます。時間をたたえた空間が光を放ちます。何世代もの家族が過ごした建物は、その土地の風土に合ったつくりで、地場の材料を使って建てられている。名もない町家や農家も地域の文化資産なのです。それを、戦後にできた建築基準法は「既存不適格」と決めつけ、簡単に建て替えて、どこにでもある無個性な町並みにしようとする。

そうではなく歴史的建築物を生かし、「文化」として次の世代に伝える。そこに雇用や小さな産業が生まれ、その一つ一つの連鎖がまちづくりにつながると思ったのです。限界集落に開業したオーベルジュ「集落丸山」は取り組みの第1弾です。村人による計画づくりに半年、改修に半年。1年で開業しました。

集落の住人は建物を貸すだけでなく、NPOとして自ら宿を運営する。
2棟の宿泊棟は予約受け付けやフロント業務から部屋のメンテナンス、朝食の提供まで、村人が自前でしています。宿泊者は本物の農村の暮らしの中に入っていくわけです。その土地の日常と切り離された普通のホテルで過ごすよりも楽しい、と価値を見いだす人は多いでしょう。レストランも廃屋を再生。その空間を気に入った著名なシェフが神戸から移住してきました。

兵庫県職員、篠山市(現丹波篠山市)副市長として計30年近く勤めた。
振り返ると「(役人)らしくなかった」のかなとは思います。周囲の同調圧力に屈せず発言するので、組織にとっては、はみ出し者です。面倒があればどうよけて通るかを考えたがるのが役人のならわしですが、自分は「目の前の穴ぼこは埋める努力をする」たちでした。

鉄道の高架化を担当していたときは、職分を越えて駅周辺のまちづくりを地元と一緒にあれこれ考えていました。本来は「線路を上に上げるだけ」でいいのですが、それではあまり楽しくない。

自分が役人でしたから、役人の思考法や動き方はよく知っています。役所の都合や限界のようなものも理解していました。たとえば限界集落の古民家を再生したオーベルジュ「集落丸山」は当時の旅館業法で「簡易宿所営業」に分類されました。この法律を基にした兵庫県の基準では、定員15人以下の簡易宿所には「トイレが4つ必要」と決められていました。

でも私たちがつくる定員5人の1棟貸しの宿にトイレが4つもあるのはおかしい。実は旅館業法は1948年制定で、簡易宿所とは戦後混乱期の「ドヤ」の基準なのです。現代には適合しませんが、担当者は「決まっていることだから」と言うばかりです。

実際、保健所の窓口でそう指導されて開業を断念した例がいくつもあると分かりました。自分が役人でなければ私も途方に暮れたはずです。でも、許可される理屈をこちらで考えて乗り越えることができました。

2011年、副市長退任と同時に55歳で兵庫県職員を辞めました。ためらう気持ちはありました。残れば局長、部長と昇進し、県政の課題に取り組めるかもしれない。

でも、空き家となった歴史的建築物の活用という目の前の”穴ぼこ”と、その可能性に気づいていました。まちづくりには、問題に気づいた者が動き始めなければならないという鉄則があります。問題を指摘しただけで放置すれば、解決できないものとして固定してしまいます。それは社会的にはむしろマイナスです。退職は成り行きでしたが、必然でもありました。

官民連携の時代、地域課題の解決に民間が貢献する時代になりましたので、役人が本気ではみ出すのも一つの生き方かと思います。

古民家を再生し、活用しながら守る――。その取り組みを阻む、時代に合わない各種規制の見直しを訴え、改正につなげてきた。
一例が1950年につくられた建築基準法です。法施行以前に建てられた建物を一律「既存不適格建築物」と呼び、構造設備の基準も用意されていません。日本社会が築いてきた伝統構法を無視し、使えなくして、建て替えに誘導してしまう。

私たちは欧州の街並みに、積み重ねた歴史の重みを感じ取り、その空間で日常生活が現に営まれていることに美しさや楽しさを感じます。なぜ日本でそれができないのでしょうか。地域の風土に見合っていて、長い時間を風雪や地震に耐えてきた建物は、その土地の貴重な文化資産です。

そして旅館業法。トイレ数はほんの一例で、客室数はホテルで10室以上、旅館で5室以上が必要。旅館に洋式寝具、つまりベッドはダメ。明るすぎる照度基準。玄関帳場の設置義務――。時代に合わない基準ばかりでした。筋が通らないばかりか、法が社会に害をなしていました。

「集落丸山」に続いて取り組んだのが「城下町ホテル」構想だ。
篠山の旧城下町を一つのホテルに見立て、点在する町家や武家屋敷などの空き家を連続的に修復する構想です。最初はカフェやレストラン、雑貨店、工房などを作っていきました。次に1棟貸しや2~5室のホテルを分散型でつくることにしたのですが、これを旅館業法が認めていなかった。こうして国家戦略特区の提案に至ります。

現在、篠山の城下町ではフロント棟ほか9棟21室が町なかに散在、稼働する。「篠山城下町ホテルNIPPONIA」の名前で、年間を通じて宿泊客を受け入れている。

篠山の城下町は東西2キロ、南北1キロで、うち旧武家町、旧商家町などの約40ヘクタールが重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。城下町には江戸後期から昭和に建てられた伝統的な古民家が多く残っていますが、空き家が増え、壊される事例も増えています。私たちは古民家デベロッパーとして、それらを1軒ずつ修復してきました。

改修工事には伝統構法を理解している地元の工務店を起用。もともとの構造や意匠を大切にすることを基本としながら、いまの人たちが心地よく過ごせる環境や設備を調えます。バランスが大切です。

たとえば伝統的な妻入り町家のつくりや土壁の部屋でありながら、畳敷きをフローリングに変えてベッドを置くといった発想です。活用しながら保存することで、次世代への引き継ぎがしやすくなる。収益性が高まることで、維持管理のための費用も確保できるからです。

呼応するように国の政策の潮目も変わる。国家戦略特区法が2013年成立し、関西圏が「歴史的建築物利用宿泊事業」の分野で特区に指定された。古民家の活用に関わる法令の見直しも始まった。

特区には建築基準法、旅館業法に関して幅広く提案しましたが、規制緩和されたのは「玄関帳場の設置義務」だけです。それでも、篠山城下町で4物件11室の分散型ホテルが誕生したのです。運営を担うバリューマネジメント(大阪市)は、都市部でも歴史的建築物を活用したレストランやブライダル施設を運営している会社です。
集落丸山は村人の運営、城下町ホテルはプロの運営と切り分けました。

実際に「つくって見せる」ことは重要です。16年には内閣官房に「歴史的資源を活用した観光まちづくりタスクフォース」が設置され、集落丸山と篠山城下町ホテルの双方が政府の地方創生モデルに。古民家を核とした篠山のまちづくりが、全国的な知名度を得た瞬間だったと思います。

タスクフォースには有識者として参画しました。議論を重ね、17年には人材育成、自治体連携、金融、規制改革などの支援策が取りまとめられました。私は政府の担当者とともに全国を駆け巡ることになりました。旅館業法は全面改正され、建築基準法も見直しが進んでいます。あれから5年。取り組み事例は全国200地域を超え、大きなうねりになっています。

篠山で始まった観光まちづくりは全国に拡大。各地に「ビークル」が生まれた。

篠山のまちづくりを担う一般社団法人ノオトは2009年の設立でしたが、いま北海道から九州まで各地で新しいまちづくり会社が誕生しています。地域のデベロッパーとして古民家再生を手掛けるこうした組織を、私たちは「ビークル」と呼んでいます。まちづくりを志向する地域の有志が乗り合うクルマのようなイメージです。

みのまちや(岐阜県美濃市)、一般社団法人キタ・マネジメント(愛媛県大洲市)、一般社団法人パレット(熊本県甲佐町)――。こうした「イケてる」まちづくり会社が地域に生まれることで、地元の文化資産の古民家が次々よみがえり、移住者がやってきます。生活文化や食文化が継承され、暮らしとなりわいが創造されていきます。

その光に誘われて、観光客がやってきます。時間をたたえた空間に身を置き、その土地の暮らしや食文化の豊かさに触れるのです。このようにして1泊の滞在(観光)から一生の滞在(移住)までを受け入れる。それが「観光まちづくり」の概念です。

私自身は19年にノオト代表を辞めてしまいましたが、篠山にはいま3つのビークルがあり、それぞれに事業を展開しています。今年はあと数社増えることになりそうです。

2020年に新たな一般社団法人をつくった。国指定重要文化財(重文)の活用が狙いだ。
一般社団法人創造遺産機構(HERITA)は国指定の重文を「使いながら守り、次世代に引き継ぐこと」を目指しています。メンバーには文化財修理の専門資格を持つ建築士が加わっています。

背景にあるのが、19年に施行された改正文化財保護法です。グレードの高い指定文化財だけでなく、古民家のような未指定の歴史的建築物を含めて「文化財」と総称するようになりました。そしてこれまで単に「保存するもの」だった文化財が「活用する」ものに変わりました。

日々の暮らしや、なりわいのための資源として文化財を生かし、それによって文化財そのものの命を未来につないでいく。そこには、無名の古民家の再生をまちづくりの中核として位置づけた集落丸山と同じ発想があります。

HERITAが最初に手掛けたプロジェクトは、岡山県美作市の国指定重文「林家住宅」です。1786年築の、かやぶき屋根を持つ堂々たる屋敷です。この重文を公開施設や宿泊施設として修復・活用するため、必要な工事を進めています。今秋には開業し、文化財の生かし方のモデルを提示できる見通しです。悩みは銀行が融資しないこと。「前例がない」という元役人としては懐かしい言葉を聞かされることとなりました。

19年10月、金野さんは丹波篠山市を提訴した。篠山の城下町に105室、建築面積1500平方メートル超の大型ホテルを建設する計画を巡り、市の開発許可の差し止めを求めたのだ。開発は市のまちづくり条例に基づく土地利用基本計画の立地基準にこの計画が違反していると主張する。
城下町にあるホテルの建設予定地は、基本計画で「歴史環境形成区域」に指定されています。文化財保護法に基づき指定された重要伝統的建造物群保存地区の隣地でもあります。そして市の立地基準では、この区域で建築面積1000平方メートルを超える商業・業務施設の開発を原則認めていないのです。

建築面積の最高限度は、町家や武家屋敷などの比較的小さな建物が連なることで形成された、城下町に特有の町並み空間を引き継ぐために定められているものです。今回の計画に、こうしたまちづくりのルールを外れて「特例」を認めるに足りる理由があるのかを問うています。

市の土地利用基本計画には、その開発が市民生活の安定、産業の発展・振興などに資する場合に限り、市民の意向を踏まえ、まちづくり審議会の意見を聞いて個別に判断するなどとしたただし書きがあり、市が「特例」で開発手続きを承認した経緯がある。地域住民全体の公益のために今回の開発が必要、というのが市の言い分だ。
特例として承認する場合も細かい判断基準が定められています。その基準に適合するかどうかが争点になっていますが、そもそも市民やまちづくり審議会の意見を聞く前に市長はホテル事業者と合意書を交わし、建設の許認可取得に協力する、と約束をしてしまっています。

この国の景観と土地利用に関する規制制度は、つまり美しい国土空間を実現するための制度設計は、先進国では大きく後れを取っています。経済成長を優先し、既成市街地の外縁部や農村地域では無秩序な開発が進展するのを放置してしまいました。

ロードサイド型店舗や新建材の住宅を見慣れた結果、何が美しい町並みや風景であるか、私たち日本人は理解できなくなったようです。規制緩和を是とする風潮がありますが、社会にとって良き規制は必要だと考えます。

丹波篠山市が全国に先駆けて取り組んだ景観条例と土地利用基本条例がうまく回らなくなったら、ヨーロッパ諸国が実現したような美しい国土づくりはどんどん遠くなってしまうでしょう。

地方創生には「民」が手掛ける文化的な開発事業とともに、「官」による規制制度も必要だと考えている。
行政マンとして景観規制や土地利用規制の制度設計をしてきました。そして集落丸山の検討を始めたときに時代が変わったことに気づきました。人口減少の時代には規制だけでは町並みを守れません。空き家を活用しなければ町並みはおのずと崩れていきます。左手で「良き規制」を構え、右手で「良き開発」を実践する。美しく豊かなまちづくりには、守りと攻めの両方が欠かせません。

欧州各国には、どこにも美しい国土づくりのための規制制度があります。住民はそれを当たり前のことと受け止めています。日本にその常識を根付かせることも、私のライフワークです。篠山城下町での訴訟がその試金石になると考えています。

古民家再生を出発点に、日本社会のあり方を突き詰める。
グローバルな思考を否定はしません。均質で画一的な世界は憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を具体化したものですし、その底上げも実現しています。ただ、それだけでは物足りない。どこでも同じ味のハンバーガーが手軽に食べられる豊かさと、縁側で「おばあちゃんのおはぎ」を食べる豊かさは二者択一ではありません。

美しい空間では何か楽しいことが起きる。そう思って活動してきました。時間をたたえた空間を求めてクリエーティブな人たちが地域を行き交い、固有の文化が熱を帯びる。社会が整い、地域経済が循環する。そんな小さな島々(ローカル)を、グローバルの海に浮かべたい。それが私の願いです。

古民家デベロッパー事業は分散型ホテルが軌道に乗ったことでひと区切りついたと考えています。2021年に新会社つぎと(大阪府貝塚市)の会長に就きました。各地域の「お困り空き家群」を文化遺産ととらえ、地元のビークルが活用に動く。その事業を各地域に根を下ろした担当者が支援します。篠山で磨いてきた方法が全国に広がっていくための態勢が整いました。

そして画一化が進む社会のオルタナティブ(もう一つの新しい選択肢)を、新しい事業展開でつくり続ける。
篠山では最近、棟の半分が崩壊していた江戸末期の庄屋が、森林再生の拠点施設「mocca」として再生されました。林業家と猟師の若い夫妻が運営し、カフェとともにタイニーハウス(小屋風の家)や木工クラフトの手仕事ワークショップが人気です。ダイハツ工業がアグリテックの開発拠点を構えました。

これからは文化財を「つくる」活動にも力を入れようと考えています。先人が残した古民家を次世代に残す努力をしてきましたが、やがてはそれも朽ちます。私たちの世代が新たな「文化財」を建設しなければ、未来の世代に責任を果たしたことになりません。

第1弾として篠山城下町の空き地を、仲間と新たに設立した一般社団法人ロコノミ(兵庫県丹波篠山市)で購入しました。「伝統構法による令和の町家」という建築条件付きの宅地として分譲する計画です。moccaの裏山で施主が自ら選んだ木を製材し、時間をかけて乾燥します。家具はDIY。効率一辺倒の現代の家づくりとは対極ですが、それを喜びとして購入する顧客がいるはずです。

併せて、史跡の活用を唱えています。例えば城跡の二の丸御殿をホテルとして復元する。官と民の連携で再建すれば、時間はかかりますが、ホテルの収益で門や櫓(やぐら)も再建していける。建築技法や伝統工芸の継承、職人育成につながります。地域の象徴である城を200年かけて再建するという意思、「あるべき未来」への回帰精神こそ文化であり、観光資源なのです。サグラダ・ファミリアのようで最高じゃないですか。