今日の「シティプロモーションサミット2013in尼崎」の、対談講演『長崎の市民力とまちづくり〜さるくから始まる物語〜』をご紹介します。
対談は、長崎市長:田上富久氏、NPO法人コンプラドール理事長:桐野耕一氏、そして、聞き手として、尼崎市顧問:船木成記氏のお話でした。

冒頭、聞き手の船木さんから、船木さんが長崎で感じたのは「おとなが本気でそのまちを遊ぶ」姿に出会った。そして「究極の道楽」だと思ったと語られたのも印象的でした。
田上市長の話は5年ほど前にお聞きしたことがあるのですが、臨場感がこもった桐野さんのエピソードにより、市民レベルで観光へ取り組むことの意義と、シティプロモーションとは何かを感じることができた内容でした。

・ 「さるく」とは、長崎弁の言葉で、“ぶらぶら歩く”との意味をさします。
・ 2006年に開催した「長崎さるく博」を機会に、長崎の観光まち歩きガイドを「さるく」と呼ぶようになっています。
・ 「長崎さるく博」の3年前から活動を始め、1〜2年目の参加者は市民で、この経験を踏まえながら3年目に博覧会を迎え、7ヶ月間の開催期間で活動しました。
・ 1番の効果は、“まちに興味を持つ方”が増えたことです。
・ 長崎は元々観光地だったのですが、観光客が減っていることを心配していました。
・ 3年後に「長崎さるく博」を開催するので、田上市長(当時課長)から起爆剤を一緒に考えてほしいとの相談を受け、市民がやるガイドの案が出ました。
・ 当時先進的だった別府の“別府ハットウオンパク”を見に行きました。参加者全員が直感的にこれだと感じ(自分たちならもっと上手に案内できるとの自信も出てきた)、そして、長崎らしいガイドのあり方を模索しはじめました。
・ 長崎では“ノリが良いこと”を「のぼせもん気質」といい、こののぼせもん気質に火がつきました。
・  MAPづくりもプロに任せるのではなく、自分たちで作ったことが良い結果につながりました。おじいさんのおじいさんが言っていた等のエピソードがたくさん出てきました。
・ 毎日の通勤路に偉大な歴史があることを知るキッカケになりました。
・ これまでに観光ボランティアの組織があり、新しく“さるくガイド”を立ち上げるうえで、軋轢がおこる心配もありましたが、桐野さんが別府のガイドのやり方を観光ボランティアのメンバーに紹介すると、「それは良い」と、皆さんが“さるく”のメンバーに参加してくれました。
・ 行政のなかで、博覧会に観光ガイド“さるく”を発案した時、「やれるのか?」と批判的な意見もありましたが、長崎には「長崎くんち」という祭があり、市民の爆発的エネルギーを見てきたので、実現可能だと思っていました。
・ 市民レベルの気運が盛り上がっていき、行政としては国際観光も大切だが、国際観光を後回しにして、まず市民レベルの観光を優先しようと決めました。
・ 長崎サルクは、行政の発案で動き始めましたが、市民レベルが動き始めてからは、徹底的に黒子に徹しました。行政は黒子に徹しなければならないと思いました。
・ まちの一番の底力は、「市民のなかに眠っている」ことを学びました。
・ 市民が本気になったエピソードに、市民が市役所に差し入れを持っていくということが起こったことがあげられます。
・ シティプロモーションとは、市民自らがプロモーターになって活動することだと思います。
・ “まち”は人が創ってきたもの。見えないものを見せることで、人の心を動かせると気がつきました。
・ 訪れた人が“まちが好きな人に出会うと、そのまちが好きになる” これからの観光は“人”に会うための観光になってくるのではないかと思います。
・ まちが分かってくると、まちに愛着がわいてきます。自分達でまちのために何かできないかと考え始めます。そして公園にあるイチョウの木をクリスマスツリーに見立ててイルミネーションを、1口500円の寄付を集めて行いました。余興に男声合唱団を作りました。それがキッカケで3つの合唱団が活動することにつながりました。

心が温かくなるような対談でした。
「シティプロモーション」を考えるシンポジウムでしたが、市民自らが楽しいと感じるキッカケを与えることが要諦ではないかと感じました。

http://www.saruku.info