逆転の発想で“不可能”を“可能”に。伝統企業「能作(のうさく)」、下請けから世界的ブランドへの軌跡
(BizHint 2022年3月9日)
https://bizhint.jp/report/598454

【ホッシーのつぶやき】
お勧めのレポート②です!
”能作”は、錫の鋳物の下請け企業から自社ブランドの開発に注力され、曲がる食器『KAGO』で一躍有名企業になられている。1990年頃「3K」と嫌われた仕事では将来性がないとして「地域みんなの“誇り”にしたい」と取り組まれたその一つがこの見学だ。今では工場見学の場所が地域の観光のハブになり「お手製観光カード」が置かれており、学ぶところが多い。
「大阪・関西万博」にもほしい取り組みだ。

【 内 容 】
鋳物の人気ブランドを確立した富山のメーカー「能作」。バブル時代は地元の人から軽視される下請け鋳物工場でしたが、現社長である能作克治さんの入社後、自社製品の開発へシフト。世界初・錫100%の「曲がる食器」などの独創的な製品が評価され、国内外で注目されるブランドへ成長しました。社員15倍、見学者300倍、売上10倍に成長させた能作社長に、世界的価値を生み出す製品開発と、地方創生などの社会貢献の意義について語っていただきました。

株式会社能作
代表取締役社長 能作 克治さん
1958年福井県生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。大手新聞社のカメラマンを経て、1984年能作入社。未知なる鋳物現場で18年働く。2002年代表取締役社長に就任。社長就任時と比較し、社員15倍、見学者300倍、売上10倍、8年連続10%成長を、営業部なし、社員教育なしで達成。地域と共存共栄しながら利益を上げ続ける仕組みが話題となる。

攻めの伝統産業で、新しいことにチャレンジし続ける老舗企業
能作は1916年創業、富山県高岡市にある老舗鋳物メーカーです。富山県高岡の伝統産業である「高岡銅器」の歴史や技術を受け継ぐメーカーのひとつでもあります。
日本の伝統産業は、基本的にすべて分業体制です。当社も溶けた金属を砂で作った型に流し込み(鋳造)、鋳物を作るのが役割でした。その他に着色屋や加工屋、それを束ねる産地問屋があり、当社は長年ずっと産地問屋に向けて製品を作ってきました。いわゆる下請けです。
しかし現在は、下請けではなく、 「能作」ブランドとして世界からも注目される企業 となりました。国内に直営店が13店舗、都内だけでも4つの店舗を持っています。社員が直営店に立ち、製品の話はもちろん、伝統や地域、職人の気持ちなどをすべて説明してご購入いただくという売り方にこだわっています。
能作が今に至るまで、多くのチャレンジをしてきました。伝統産業の人は「守る」と言いがちですが、守るだけでは遅かれ早かれ衰退してしまいます。 どんどんチャレンジして“攻める”伝統 をやっていかないと持たないだろうという思いで続けています。
私は能作の一人娘の婿になってから、18年間ずっと現場で職人をやって技術を磨いてきたのですが、「鋳物をもっときれいに作りたい」「実際に使っているユーザーの声を聞きたい」といった意欲が生まれ、次第に自社製品の開発へ興味が湧いてきました。
チャンスが巡ってきたのは2001年。地方の勉強会に東京からデザイナーとコーディネーターがやってきたのです。そこに製品をもっていき見ていただいたところ、「能作さんの鋳物はきれいだね。東京で展覧会やらない?」と言われ、原宿で1週間ほど展覧会を開くことになりました。そこで私がデザインしたベルを扱いたいと声をかけてくれたのが、当時の株式会社バルス、今の株式会社Francfranc(フランフラン)です。
ベルは3か月間13店舗で販売してもらいました。しかし、売れたのはたったの30個でした…。全然売れずに落ち込んでいたところ、店員さんから「このベルはスタイリッシュで音がきれいなので、風鈴にしてみたら?」とアドバイスをいただきました。「4,000円以上もする風鈴なんて売れるかな?」と半信半疑ではあったのですが、なんと3か月で3,000個売れました。100倍の売上です。

それから 「ユーザーの一番近い場所にいる人の意見を聞いて製品を考え、デザインを活かした自社製品を開発しよう」 と決め、自社製品に注力するようになりました。

「逆転の発想」で開発した自社製品が大ヒット! その後も様々な分野で新製品開発にチャレンジ
2008年頃には、自社製品がすごく売れるようになりました。そのきっかけのひとつが錫(すず)100%の「曲がる食器」です。
それまで錫を使用する場合は、銅やほかの金属を混ぜて硬く加工するのがセオリーだったのですが、能作ならではの革新性を打ち出すため、錫100%の製品を作りたいと考えました。しかし、錫だけでは柔らかすぎてぐにゃっと曲がってしまうんです。
ある日、その欠点をデザイナーに相談したところ、「曲がるのであれば、曲げて使ったらいいのでは?」と。確かに、別にお皿が曲がったって、コップが曲がったっていいじゃないか…と気付き、 逆転の発想で開発したのが『KAGO』という製品 です。これが大ヒットしました。

『KAGO』は鍋敷きのような形状をしていて、上に引っ張り上げると形が変わる。写真のように曲げて使用することも可能
たくさん売れるようになってからは、生産が追いつかないことが課題になりました。 どれだけ問い合わせが来ても、同じ量しか生産できなかったら売上は伸びません。 いくら伝統産業でも新しい技術開発を行って対応しなければと一念発起し、シリコーンの型に錫を流し込むシリコーン鋳造という鋳造法を考案しました。
一般的には鋳造では、1つの型につき製品は1個しか作れません。しかし、シリコーン鋳造を導入することで500~1000回鋳造できるようになりました。この鋳造法により、内閣総理大臣表彰「ものづくり日本大賞」では経済産業大臣賞をいただきました。
最近は医療機器の開発にもチャレンジしています。能作というブランドで製品を作るために医療機器の販売免許を取って、錫で作った能作ブランド初の医療機器『へバーデンリング』を開発しました。

日本人の女性に多いと言われる「へバーデン結節」。指の第一関節が曲がってきたり腫れたりして痛くなる疾患。へバーデンリングをつけると痛さが軽減されるとのこと
もちろん、チャレンジして失敗することもあります。
例えば、錫の器に入れて飲み物を飲むと、光触媒作用で尖ったところが消え、特にカジュアルな赤ワインの味が高級ワイン並みになるんです。そこで、上がガラスで下が錫のワイングラスを28,000円で販売したのですが、あまり売れませんでした。よく考えると、3万円近くするワイングラスを使う人はヴィンテージワインを飲み、カジュアルな赤ワインは飲まないんですよね。
しかし、 失敗をしてもあきらめずにチャレンジし続けることで、最終的には「成功」になります。

海外進出で世界から注目されるブランドへ
2009年からは、海外展開もスタートしています。金属文化がある海外での評価を仰いで、世界的なブランドを目指そうと考えました。
海外進出を始めて分かってきたのは、 「各国の文化を見据えた製品開発が重要」 ということ。例えば、韓国ではお箸文化があるので箸置きを販売したのですが、ほとんど反響がありませんでした。実は、韓国ではお箸をスプーンとセットで使うのが通常のため、箸置きはその両方がおける大きさが必要だったのです。また、日本と海外では好きな色も異なります。
このような経験から、海外展開はインバウンドをあてにせずに、現地に行って現地企業と合弁を組むアウトバウンドで動いています。
海外展開では、 市場分析して「何がどこで一番売れるか」を把握する のも重要です。例えば先ほどご紹介した曲がる食器『KAGO』。ニューヨーク内で4店舗ほど取り扱ってくれているお店があったのですが、あまり売れず。「アメリカでは人気がでないのかな…」と思っていました。そんなある日、ニューヨークの近代美術館(MoMA)から、『KAGO』を取り扱いたいと連絡がきて、製品をお送りしたところ、多くの人が購入してくださったんです。
また、パリの展示会に出展したことがきっかけで、フランスの有名なファッションブランドに能作の花入れを置いていただきました。世界の顧客にプレゼントするということで、花入れを2,000本発注いただいたので、これはチャンスだと思い「裏側に『能作』の刻印も押していいか?」と聞いてみたのですが、さすがにダメでした(笑)。その時に、『能作』の刻印を押して出してね、と言われるくらいのブランドになりたいと思いましたね。

伝統産業を地域みんなの“誇り”にしたい
今でこそ、地方の田舎町にある能作の工場にもたくさんの人が訪れ、職人の技を見学するようになりました。しかし、1990年のバブル絶頂期は 職人の仕事が「きつい」「きたない」「きけん」の3K だとされ、たった9人の職人しかいなかったんです。確かに汗だくになるしんどい仕事でしたが、職人には仕事への誇りがありました。
そんなある日、ある親子が工場見学にやってきて、懸命に働く姿を見せていると、お母さんが子どもに「ちゃんと勉強しないと、あのおじさんみたいになっちゃうよ」と言ったんです。心にぐさりと突き刺さりました。そのお母さんが都会から来た人ならしょうがないと思うのですが、地元・高岡の人でした。地元の伝統産業なのに、自慢に思うどころか足蹴にされていました…。
この出来事をきっかけに 「伝統産業を地域みんなの“誇り”にしたい。自分自身に誇れる仕事をして、子どもたちに誇りに思ってもらえる仕事をしたい」 と思うようになったのです。
そのために大切なのは 「実際に見てもらい、伝統産業や職人の仕事の価値を伝えること」 だと考えました。
2017年に新しい社屋をオープンして、工場見学を実施しています。鋳物の匂いや熱、音などを五感で味わってほしかったので、ガラス越しに見たり上の通路からのぞき込んだりする形式ではなく、実際に工場内に入って職人さんと同じ目線で見学できる形式にしました。
この社屋は公益社団法人日本サインデザイン協会主催の「日本サインデザイン賞」をはじめ、全部で10個の賞をもらっています。イギリスの賞もいただきました。そのぐらいかっこいい場所です。

ここは工場だけでなく、体験工房や能作の食器を使っているカフェなども併設しています。この施設で、地域のことや伝統産業を知ってもらったうえで、県内観光のハブ的な役割を担い、産業観光を実現したいと考えています。 産業観光は地域全体が盛り上がって初めて成立しますから、能作だけがお客さんを独り占めしてもダメ なのです。だから能作に来て、次に行きたい場所を探してもらって、そこに行ってもらうという流れを作っています。こうして産業観光ができれば、地方創生にもつながります。
産業観光で地方創生するのが目的なので、収益は重視していません。「赤字だとしても、本体が頑張って利益を出せばいい」と思って取り組んでいます。

先を読まない・数字を求めない経営で売上は10倍に。社長の変わらないポリシーとは
こうした取り組みで、見学者は300倍、社員は15倍、売上は10倍になりました。「どうやってブランドを大きくしたのですか?」とよく聞かれるのですが、 ただお客さんの要望に「できない」と言わず、何とか応えてきただけ なんです。
このような当社の行き当たりばったり経営とは、 「先を読まず数字を求めない経営」 とも言い換えられます。私は、社員に「今年は20億を目指します」と言ったり、直営店に「月にいくら売りなさい」と言ったりしません。「売らなくていいけど、ちゃんと富山県のこと、高岡のこと、職人のこと、素材のことを伝えてくれ」と言っているんです。すると、不思議と売れるんですよね。
柔軟な経営をしつつも、35年間ずっと変わっていないポリシーもあります。
1つめは 「続けること、あきらめないこと」。 30年以上かかりましたが、もともとは3Kだと避けられていた企業だったのに、今では若い人が「就職したい」と訪れます。途中であきらめてチャレンジをやめていたら、こうはならなかったでしょう。
2つめは 「仕事を楽しむ・愉しむこと」。 じっとしているのが嫌でとにかく動いていたいので、2~3か月ごとに新しいことに取り組んでいます。理由はそのほうが楽しいから。仕事は楽しくないと続けられないし、発展しません。僕自身、仕事が楽しすぎて朝5時に出勤して夜11時に帰宅したり、年間364.5日働いたりしていました。仕事を続けるためにも、楽しさが一番重要だと思っています。
3つめは 「失敗したら忘れること」。 いいことを言う人は多いですが、実行する人は少ないです。理由は、人は失敗を恐れるから。私は今までたくさんチャレンジしているので失敗の数も多いのですが、失敗しても忘れることにしています。失敗した経験をなくしてしまえば、新しいチャレンジがどんどんできます。一番悪いのは何もしないことです。失敗は忘れて引きずらない、楽しく仕事をするのが発展の元です。
4つめは 「地域社会に労を惜しまず貢献すること」。 ちゃんと法人税や住民税を払うのは当たり前で、当たり前以外の行動で地域社会に貢献すると、地域にとって大事な会社になります。さきほどお話しした産業観光などの取り組みのおかげで、今では富山県民が県外に行く際、当社のビアカップやぐい吞をお土産にして「これは富山県の高岡にある能作という会社が作ったものだ」ってPRしてくれるんです。能作はほとんど営業していないのですが、こうやって富山県民が広めてくれています。
地域を活性化するために錫の技術も共有して、高岡で約13社も錫100%の製品を扱う会社が生まれました。技術を隠して専売特許にするよりも、地域を活性化するほうが大事だと思っていますから。

認知度を高め、より多くの人を幸せにする
昔からボランティアで楽団の応援をしたり、障碍者スポーツ選手の支援をしたりしています。日本は福祉に弱い国だと言われていますから、中小企業はもっと目を向けるべきだと思いますね。能作としても地域社会貢献などを続けていきたいです。
決断に迷ったら「何人の人を幸せにできるか」と考えるとスムーズです。どっちの道を選んだほうが幸せになる人が多いかで決めます。そもそも一番良くないのは「選ばないこと」なので、どちらを選んでも大抵はうまくいくんですよ。 結局は、自分が選んだほうが正解なんだと思います。
コロナ禍でも、能作の従業員は変わらず次々に新しい取り組みを行っています。コロナ禍で売上の形態が変わり、直営店の売上は半分に落ちましたが、その分をECサイトや海外の売上でカバーして、なんとか横ばいになりました。特にECは売上が200%以上も増えました。最低でも5,000円、1万円以上の製品も多いのに、です。
なぜだろうと考えてみたら、最近は飲み屋さんで能作の食器を使ってもらうことが増えたので、そこで知った人が使用感を踏まえて買ってくれているのでは、と気づきました。だから時代には逆行するのですが、これからも直営店を増やして知名度を上げたいと考えています。能作をより多くの人に知ってもらって、もっとチャレンジしていきます。

※本記事は、2021年9月16日に開催されたWASEDA NEO主催のセミナー『「儲け」よりも「楽しむこと」伝統企業『能作』の挑戦 -年商15億円 “踊る町工場”の「しない」経営-』の内容をもとに再構成しました。
(文:秋カヲリ 編集:櫛田優子)